息子から送られて来た写真 №② 清水寺

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 清水寺は、山号音羽山と称する京都でも有名な寺院の1つです。

 『清水寺縁起』などによりますと、宝亀9年(778年)、大和国興福寺僧・賢心は、夢のお告げにより山城国愛宕郡八坂郷の東山に行き,音羽山に籠って千手観音を念じ続けていた行叡居士に出会いました。
 賢心は、後にここを去った行叡が残した霊木に観音像を刻み、行叡の庵室に安置しました。
 
 宝亀11年(780)、坂上田村麻呂は、鹿を捕えようとして音羽山に入り込んだところ,賢心に説得されて観音に帰依し,自邸を本堂として寄進した。延暦17年(798)、田村麻呂は延鎮(旧名・賢心)と協力して本堂を大幅に改築し、観音の脇侍として将軍地蔵菩薩像と毘沙門天像なども造り、共にそこに安置しました。

 延暦24年(805),坂上田村麻呂は、太政官符によって寺地を賜り、弘仁元年(810)には,嵯峨天皇の勅許によって北観音寺の寺号を賜ったといわれています。

 平安時代中期以降,西国三十三箇所音霊場の第16番札所として繁栄しました。

 なお,清水寺平安時代以降,興福寺の支配の下にあったところから、興福寺延暦寺の争いに何度も巻き込まれ、永万元年(1165)には延暦寺の僧兵の乱入によって全山を焼亡しています。

 国宝に指定されている懸崖造の本堂は、寛永10年(633)に江戸幕府徳川家光の寄進によって再建されたものです。本尊の木造十一面観音立像は国重要文化財に指定されています。

 なお,清水寺は,現在,独立して北法相宗大本山を名乗っています。

 写真① 仁王門です。

 写真② 右手に国重要文化財の三重塔と経堂(講堂)が見えます。

 写真③ 右手に有名な清水寺本堂が見えます。

【追記】途中からですが,清水寺の本尊十一面観音立像のお前立ちである千手観音立像の写真を,④として載せておきます。奈良国立博物館『特別展 西国三十三所観音霊場の祈りと美』(2008)から収載させていただきました。