熊野牛王紙を使用した起請文

イメージ 1

 日本山岳修験学会からの帰途の旅のついでに,長野県上田市にあります生島足島神社に立ち寄ってきました。ここには国重要文化財に指定されている『生島足島神社文書』があり,その多く(88%)が熊野牛王紙(くまのごおうし)を使用した起請文(きしょうもん)であるからです。

 生島足島神社蔵の起請文(83枚)の料紙として,良質の和紙に宝珠や烏の群れを木版刷りした熊野牛王紙が使用されています。

 熊野牛王紙は,和歌山県の熊野三社(熊野本宮大社・熊野新宮大社・熊野那智大社)ごとにその様式は違っていますが,生島足島神社の起請文にはすべて熊野那智大社那智滝宝印(なちりゅうほういん)の料紙が使われています。

 熊野牛王紙は,本来,裏返して使うものなのですが,中にはそうなっていないものもあります。

 ここに取り上げた起請文は,那智滝宝印がはっきりと押印されている小河原重清と神保昌光が連署し甲斐・信濃・上野半国の戦国大名であった武田信玄にあてられた起請文です。ここで,主君の武田信玄にたいして逆心を持ち謀反を企てないことが誓約されています。武田信玄が東海地方への進出をもくろんでいた永録10年(1567)の文書です。

 小河原氏と神保氏は,ともに上野国多野郡長根一帯(現吉井町)を本拠としていた武士団の一員です。いわゆる長根衆の一員です。長根衆は,始めは関東管領の上杉氏の支配下にありましたが,永録年間に武田信玄の軍門に降ったようです。

 この那智滝宝印が押印された熊野牛王紙の存在から,熊野三社の中でも特に熊野那智大社所属の本願や御師の活動がいかに活発であったかがわかります。実際にその手足となって熊野牛王紙を売り捌いていたのは,山伏や熊野比丘尼たちだったようですが・・・・。