『特別展 没後四○○年 木食応其 ―秀吉から高野山を救った僧―』開催

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 木食応其(もくじきおうご,1536~1608)は,天正13年(1585)におこなわれた豊臣秀吉紀州攻めの際に高野山を救った人物として日本史上に有名な人物です。
 
 今年,木食応其の没後400年ということで,和歌山県立博物館において『特別展 没後四○○年 木食応其 ―秀吉から高野山を救った僧―』が10月18日(土)~11月24日(月)まで開催されています。

 木食応其は,元々,近江国(現滋賀県)の佐々木氏の出身で,天正元年(1573),38歳で高野山に上って出家しました。

 特に豊臣秀吉の寺社造営事業(方広寺大仏殿の造営,紀伊国湯浅勝楽寺の本堂と山門を山城国醍醐寺に移転させ金堂や山門とするなどの事業)の中心になり,高野山上の復興,橋本町の整備,岩倉池などや安楽川井などの改修に努めました。

 慶長5年(1600),関ケ原の戦いの後,近江国の飯道寺に隠遁し,慶長13年(1608)に飯道寺において73歳で死去しました。
 高野山奥之院には廟所が営まれ遺骨が納められています。

 是非ともご観覧いただき,秋の好きⅠ日を楽しくお過ごしください。

 1枚目の写真。今回のチラシの表側。

 2枚目の写真。今回のチラシの裏側。

 3枚目の写真。特別展の展示会図録。表紙の写真は,興山寺蔵の「木食応其坐像」です。
 
 4枚目の写真。応其寺蔵の「木食応其画像」です。

 5枚目の写真。蓮華定院蔵の「豊臣秀吉画像」です。

 6枚目の写真。応其寺蔵の「木食応其書状」です。その下に翻刻したものを示しておきます。読み下しに挑戦してみてください。

 3枚目から6枚目までの写真は,和歌山県立博物館編『特別展 没後四○○年 木食応其 ―秀吉から高野山を救った僧―』から掲載させていただきました。