現在の熊野本宮大社の傍らに残る明治22年以前の古道の石段と石畳

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 久し振りに本宮まで足を延ばしました。

 幕末の絵図の上に残りながらも,もうすでに破壊された遺跡。

 それも大斎原に旧熊野本宮大社があった時代の例大祭の「御旅所」(かつての「耳語橋」〈ささやきばし〉の近辺にあったようです)や,田辺系統の熊野別当であった湛快・湛増らが住んでいたとの伝承を残す「光明寺跡」を探しに行ってきました。

 後者の墓地は丘の上にあるのですが,崖の下にもその延長部分があったのでは,と思い探しています。
 「御旅所」はやっぱりコンクリートの下に埋もれてしまったようで,その記憶すら人々の間には残されていませんでした。現在のそれはわかっているんですが・・・・,本来の「御旅所」をねちっこく探し続けています。

 まだ,時間があったので,ついでに現在の本宮大社の長床衆(山伏達)が修行した長床を柵の間から覗き見するため,現在の参道および石段の左に残っている,明治22年以前に使われた石段を久し振りに上ってきました。

 旧道には,比較的新しい石組みもあれば,古い石組みも残されています。

 1枚目・2枚目・3枚目の写真は上る時に撮った写真ですが,4枚目の写真は下りる時に撮った写真です。

 どれが比較的古い石段だと思いますか。

 そうです。
 3枚目の石畳の写真ですね。