「小広峠」と「小広王子社跡」をめぐって

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 田辺市中辺路町野中の東端部の「小広峠」(こびろとうげ)に,「小広王子社跡」(こびろおうじしゃあと)があります。「小広王子社」は熊野九十九王子の一つとして知られています。

 「小広」(こびろ)という地名の初見は,平安時代後期の貴族・藤原宗忠の日記である『中右記』天仁二年(一一〇九)一〇月二五日条の「小平緒」(こひらお)という地名です。そこには,「小平緒,次大平緒」とあります。

 しかし,「小広王子社」の名前は,鎌倉時代藤原定家の日記である建仁元年(一二〇一)の『後鳥羽上皇熊野御幸記』には出てきません。
 
 「小広王子社」が創建されたのは,かなり後のことでしょう。「小広王子社」の初見は,戦国時代の天正元年(一五七三)九月二九日付けの野中村若一王子権現社蔵文書(国立史料館蔵の『牟婁郡古文書』)で,そこに「小広峠の王子権現」と記載されていますが,これについては一応の検討が必要です。

 江戸時代の享保七年(一七二三)の『熊野道中記』に「小広尾王子社なし」と記載されていますので,もうこの頃にはすでに退転していたものと思われます。
 
 もっとも,寛政六年(一七九五)に成立した玉川玄竜著『熊野巡覧記』には,「小広峠,茶屋二軒有り,小さき坂なり」と記載されていますので,峠そのものは交通の要所としてにぎわっていたものと思われます。

 「小広王子社」の跡地には紀州藩が建てた緑泥片岩製の碑がありましたが,御魂は明治四二年(一九〇九)に近露の近野神社に合祀され,さらに跡地そのものも県道改修事業で消滅しました。
 
 現在,近くにその石碑の下半分が残され(1枚目の写真),その前に道標と番号道標(四〇番)が建てられています(2枚目の写真)。