ホンジュラスの「コパン遺跡」〈世界遺産〉探訪

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 9年前の1998年の冬休みに,グアテマラ共和国へ行ったついでに,国境に近いホンジュラス共和国の「コパン遺跡」(世界遺産)へも連れて行ってもらいました。

 「コパン遺跡」は熱帯ジャングルの中にあるマヤ文明を代表する神殿を中心とした都市遺跡の1つです。

 コパンでは,交易活動が盛んになるとともに,紀元前6世紀頃から巨大かつ壮麗な神殿の建設が始まりました。その結果,コパンはこの地域における交易拠点の1つとして栄えました。

 また,コパンは古代マヤの科学センターとしても有名で,7世紀に入るとコパンの神官達は1年を365.2420日とする精度の高い算出方法を考え出しました。この算出方法は,すぐさまマヤの多くの都市に拡がっていきました。

 コパンの全盛時代は8世紀前半ですが,なぜか9世紀の16代「日の出」と呼ばれた王すなわちイアックス・パック王の時代に,急にマヤの歴史の上から消えてしまいました。その原因はよくわかっていません。

 「コパン遺跡」の遺構の多くは,立ち入りが禁止されている森林の中に未だに眠っていますが,現在の「コパン遺跡」はおおよそ4つの地域から構成されています。

 北側に展開している地域がグレイト・プラサと命名された地域で,ここにはステラとよばれる巨大な石碑が林立し,さらにアルターとよばれる祭壇が散在しています。ここは,儀式をおこなうための広場のようです。数多いステラの中で,1つだけステラの写真(1つ目の写真)をあげておきます

 一番南側には,マヤの神殿都市には必ず設けられている「球戯場」があります(2つ目の写真)。ここでは,神々への奉納のために,相撲や蹴鞠のような競技がおこなわれたといわれています。

 そして,この「球戯場」の東南にあるのが有名な「神聖文字の階段」(3つ目の写真)です。この階段は,高さ約30m,63段あります。この階段は,14代スモーク・モンキー王と15代スモーク・ジェール王によって建設されたようで,下段にはこの2人の王のステラが建てられています。この階段はびっくりするような遺構です。いわば,この階段自体が一冊の本のようなもので,コパンの歴史が階段に使われている一つ一つの石に象形文字(神聖文字)で書かれています。
 この石段の文字はこの遺跡の見所の1つですので,行かれる方はじっくりと観察して来てください。なお,石段へは保護のため立ち入ることができませんので,ご注意を!!

 そして,このグレイト・プラザに続く地域が,アクロポリスとよばれる地域です。ここには,「天文台」とも「閲兵台」ともよばれる建物の石段の中ほどに「首切りの斧を持った暗黒神像」(4つ目の写真)が置かれています。

 他に763年に作られたアルターQとよばれる四角い祭壇もあります。そこには16人の王が刻まれています(5つ目の写真は横から見たもの)。

 そのすぐ東側にある神殿が巨大な「16号神殿」(6つ目の写真)です。

 むし暑い中をたっぷり汗を流してきました。気分は爽快でした。