韓国の「石窟庵」と「仏国寺」(世界遺産)をたずねて

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 23年前の1984年の夏休みを利用し,初めて外国を旅しました。私が最初に選んだ国は日本と因縁の浅からぬ関係にある韓国でした。主催団体はK大古代史研究会で,K大の教授や学生,さらには他大学の教授や学生,公務員などで構成された団体による旅行でした。

 到着した翌日,慶州博物館付の李鐘声氏の案内で,後に世界遺産に指定された「石窟庵」(ソックラム)と「仏国寺」(ブルグクサ)に向けて出発しました。

 まず,駐車場にバスを置いて「石窟庵」に向かいました。門から庵までは,松・楡などの木立が生い繁っていて涼しく,足元も土の道でちょっとしたハイキング気分で出かけました。

 途中,急な階段の所で,新婚夫婦の写真を撮らせてもらいました(1つ目の写真)。その背後に,吐含山の中腹(標高565m)にある「石窟庵」の新造の建物がはっきりと見えています。

 この「石窟庵」は,自然の岩山をくりぬいて造られたものではなく,花崗岩を積み上げて造られた人工の石窟です。8世紀中頃に統一新羅王国の宰相・金大城によって建造されたようです。
 石窟は,現在ガラスケースで外と遮られています。窟内には本尊の石製釈迦如来坐像(2つ目の写真)を囲むように前室の左右に八部衆像が4体ずつ,扉道入口の左右に仁王像が1体ずつ,扉道左右に四天王像2体ずつ,窟室左右に天部像が1体ずつ,菩薩像が1体ずつ,羅漢像が5体ずつ,そして本尊の背後に十一面観音菩薩像のレリーフが彫られています。

 2つ目の写真は,写真撮影不能のため『慶州』(宇進観光文化社,1983年)より掲載させていただいた写真です。
 気品かつ重量感溢れる本尊の釈迦如来坐像は,毘盧舎那如来坐像とも,阿弥陀如来坐像ともいわれています。実際のところはどうなんでしょう。

 山の麓にある「仏国寺」(3つ目の写真)は,6世紀前半,新羅王国の法興王母廷宰夫人の発願によって創建され,8世紀中頃に統一新羅王国の宰相・金大城によって三創されたようです。金氏の氏寺のようなものだったのでしょう。

 しかし,16世紀末期に加藤清正らの日本軍によって焼失せしめられたため,大石檀・多宝塔・釈迦塔以外の木造建造物はすべて後世の李氏朝鮮時代後期以降に再建されました。

 ところで,「仏国寺」は,大きく2つの寺域(東域,西域)にわけられています。

 東域は,朝鮮流にいうと慶州四天王寺式伽藍配置(日本の薬師寺式伽藍配置に類似)に基づかれて建てられています。
 東域には,有名な多宝塔(4つ目の写真)と釈迦塔が設置されています。両塔はともに石製で,伝説の石工・阿斯達(アサダル)によって8世紀中頃に建造されたものだといわれています。

 西域にある極楽殿には,元来,大雄殿にあったとされる8世紀中頃に制作された金銅阿弥陀如来坐像(5つ目の写真〈『慶州』より掲載〉)及び金銅毘盧舎那如来坐像が安置されています。