トルコの「ハットゥシャシュ遺跡」と「ヤズルカヤ遺跡」(世界遺産)歴訪

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 11年前の1996年の夏休みを利用し,かねてから行きたいと思っていたトルコ共和国に行って来ました。トルコは,大学校時代に卒業論文のテーマとしたギリシアと並ぶ憧れの土地でしたので,その思いは複雑(やっと来れた。しかし今頃・・・・)でした。

 トルコにはたくさんの「世界遺産」がありますが,まず首都アンカラに近いボアズカレ村にある「ハットゥシャシュ遺跡」と「ヤズルカヤ遺跡」を紹介します。ボアズカレとは,「渓谷の要塞」という意味です。

 紀元前20世紀から紀元前8世紀にかけて,アナトリア半島(現在のトルコ)にヒッタイト王国が繁栄していました。
 紀元前19世紀,ヒッタイトの王は2つの川に挟まれた丘の上に首都「ハットゥシャシュ」(1つ目の写真)を建設しました。王はまず住居と神殿を造り,ついでその上に城塞を築きました。まず発展したのは,現在ビュユック・カレとよばれるアクロポリスを中心とした「下市」とよばれる都市でした。

 しかし,紀元前14世紀になりますと,ヒッタイトは騎馬技術はもとより鉄器とその製作技術の独占によって強国となり,ヒッタイト帝国とよばれるようになりました。エジプト帝国は。そのライバルでした。
 その結果,やや手狭になった「下市」の上方に新しい都市が造られました。これが「上市」です。
 城壁(2つ目の写真)のほぼ中央に「スフィンクスの門」があり,西側には有名な「獅子(ライオン)の門」(3つ目の写真)があります。

 私達は,実は「ハットゥシャシュ遺跡」の前にその北東にある「ヤズルカヤ遺跡」(4つ目の写真)に行って来ました。ヤズルカヤとは,「碑文のある岩場」という意味です。
 ここはヒッタイトの聖地で,岩場をそっくりそのまま利用した露天神殿で,堅い岩に細かく刻まれたレリーフから当時の祭儀の様子がわかります(5つ目と6つ目の写真)。

 感動につぐ,感動。やはり来て良かった。
 しかし!! 団体旅行なので仕方ないですが,学生時代から憧れて来た「ヤズルカヤ遺跡」や「ハットゥシャシュ遺跡」を自由に歩き回りたかったなあ・・・・。