紀伊国安宅庄の中山城跡

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 今日,体調が大変良かったので(昨日,完全休養をとり,寝てばかりいたお陰でしょうか),和歌山県白浜町日置で開催された熊野水軍のさとシンポジウムへ行って来ました。そこで帰省していた旧知のHo君やHi君に再会しました。Hi君とは10数年振りの再会です。行って良かったです。

 ところで,中世の日置川下流域には安宅庄があり,そこには水軍領主として淡路・阿波など瀬戸内海東部や紀伊水道で活躍した安宅氏がいました。
 安宅庄では,現在のところ8~9カ所の中世城館が確認されています。
 
 今回は,安宅氏の有力被官・田野井(田井)氏の居城である中山城跡(1つ目の写真はその遠景)について紹介します。
 中山城測量図(2つ目の写真)で分かりますように,中山城跡は上下2段の曲輪Ⅰ(4つ目の写真に曲輪と土塁が木々の間に見えます),曲輪Ⅱを二重の横堀(空堀,3つ目の写真)で囲む構造をしています。
 天文15年(1546)の春日神社棟札には本願として安宅直重と願主として田井氏俊の名が上がっています。 
 白石博則氏は,中山城を「館城」とみ,さらに安宅氏の支城と位置付けています。

 以上,『熊野水軍のさとシンポジウム』より。