ついでに壇ノ浦合戦と湛増のかかわりを元和九年本『平家物語』にて紹介。

 かなりしつこいですが,あまり現代の人たちには知られていないようなので,ついでに壇ノ浦合戦熊野別当湛増とのかかわりを元和九年本『平家物語』にて紹介させていただきます。
 なお,インターネットで引用させていただきました「平家物語(流布本 元和九年本)総目次」の作成者と所蔵者に心より感謝申し上げます。


7 壇ノ浦合戦(だんのうらかつせん)

さるほどに判官八島のいくさにうちかつて、すはうのぢへおしわたり、あにのみかはのかみとひとつになる。平家はながとのくにひくしまにつくときこえしかば、源氏もおなじくにのうち、おひつにつくこそふしぎなれ。ここにきのくにのぢうにん、くまののべつたうたんぞうは、平家ぢうおんのみなりしが、たちまちにこころがはりして、平家へやまゐらん、源氏へやまゐらんとおもひけるが、まづたなべのいまぐまのにしちにちさんろうし、みかぐらをそうして、ごんげんへきせいまうしければ、「ただしらはたにつけ」とのごたくせんありしかども、なほうたがひをなしまゐらせて、しろきにはとりななつ、あかきにはとりななつ、これをもつてごんげんのおんまへにて、しようぶをせさせけるに、あかきにはとりひとつもかたず、みなまけてぞにげにける。

さてこそ源氏へまゐらんとはおもひさだめけれ。さるほどにいちもんのものどもあひもよほし、つがふそのせいにせんよにん、にひやくよそうのひやうせんにとりのり、にやくわうじのおんしやうだいを、ふねにのせまゐらせ、はたのよこがみには、こんがうどうじをかきたてまつて、だんのうらへよするをみて、源氏も平家もともにはいしたてまつる。されどもこのふね源氏のかたへつきければ、平家きようさめてぞみえられける。またいよのくにのぢうにん、かはののしらうみちのぶも、ひやくごじつそうのたいせんに、のりつれてこぎきたり、これもおなじう源氏のかたへつきければ、平家いとどきようさめてぞおもはれける。・・・・

〔以上,http//www.strim.or.jp/~success/heike-index.html参照〕

 前に「民俗学情報」に書きましたが,明日,西宮市で御影史学研究会の年会と藤原喜美子氏の出版祝賀会があります。去年は私の出版祝賀会を開いていただき,藤原氏に出版祝賀の垂れ幕をご揮毫いただきました。実に達筆でした。私の宝物の一つとして今でも大事にしています。
 ここまできて急に眠たくなってきました。では,皆さんお休みなさい・・・・。