修験道考古学の勉強。

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 昨日の11月12日,修験道考古学の権威・Y氏の案内で熊野の山中をゆっくりと歩き,修験道考古学の立場から遺跡をどのように見たら良いか,従来の考え方とは違う全く新しい見方をご教示いただきました。

 まず午前中,本宮の備崎経塚遺跡(尾根の部分にあり,12世紀から14世紀にかけての遺跡)と近世の大峰奥駈道近くにある修験の行場遺跡(磐座)を見学しました。1番目から3番目の写真はその行場に関する遺構を撮影したものです。そのつもりで見なければ見逃しそうな遺構ばかりです。まず,1番目の写真に見える尖がった岩の上に神を降臨させ,その下の胎蔵窟(2番目の写真)に設けた石(これを標石という)の上に神を導きます。3番目の写真は護摩焚岩といわれる護摩を焚いた場所です。護摩焚岩は2段に分かれています。
 
 4番目の写真は高原経塚遺跡近くの山林を撮ったものです。Y氏の話ではこの尾根の上を走る道が中世の熊野古道にあたり,経塚は本宮の長床衆等によって造営されたと見られるとのことです。
 
 5番目の写真は滝尻経塚遺跡と見られる遺構を撮影したもので,すでに知られている遺物はY氏によるとどうやらここから出土したようです。あくまでも現状での推論でしょうが・・・・。

 いやあ疲れましたが,勉強になりました。頭と身体をたくさん使った良い一日でした。
 調査結果は,12月3日の紀南文化財研究会例会でY氏が発表してくれます。