高田土居城跡は畠山氏の守護所か。

 室町時代紀伊国の守護所は,現在の和歌山県有田郡広川町にあったと言い伝えられている。もっとも紀伊国の守護であった畠山氏は2派に分かれて争っていたので各々の本拠がどこにあったかを知るのは難しい問題であろう。

 ところが,近年,南部平野の真ん中にある高田土居城跡から,出土土器全体の90%以上を占める土師器の皿が出土した結果,この城跡で京都にあった室町幕府に倣った武家儀式が執行されていたのではないか,つまり15世紀後期から16世紀前期にかけての一時期,この高田土居城跡に畠山氏の守護所が置かれていたのではないか,との推定がなされるようになった。
 同じような例は,越前国の守護所が置かれていた一乗谷朝倉氏の領主館跡でも見られるようで,両所には共通点があるという。

 なお,京都系の土師器の皿を真似たと見られる地元産の土師器の皿に混じって京都系の土師器の皿が数多く見つかっているようで,この点にも注目が集まっている。

 なお,南部平野の北端にある奥郡又守護代の野辺氏の平須賀城跡からは,中国産の染付・青磁白磁器以外に約20%の土師器の皿が,西牟婁郡白浜町安宅にある水軍領主の安宅氏の本城跡からは約30%の土師器の皿が出土している。自ずとその性格の違いがわかるという。

 さて,どうでしょうか。謎の解明が待たれるところですね。