翌朝、麻吉旅館の周辺を散策し、古市参宮街道を南下、そして北上。


 翌日の21日、朝早く起き、麻吉旅館の周辺を散策。どうやら泊り客の中で朝から周辺をうろついているのは私だけのようです。
 
 旅館の下から国登録有形文化財麻吉旅館の建物を眺める。今日も天気がよさそうです。
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 旅館の下にある、つづら織りを思わせる巨岩(以前よりもかなり縮小)を祀るお稲荷さんの小祠で今日の旅の無事を祈る。
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 ここが伊勢外宮と伊勢内宮を結ぶ昔の主要街道である古市参宮街道
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 宿に帰り、朝食に向かう。それにしても昔ながらの廊下の軒の低いこと。かなり注意していたのにまたも頭の上をぶつけてしまいました。痛あ・・・・!!
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 隣の棟にある食堂へ向かう繋ぎ回廊からの眺めの素晴らしいこと。しばし立ち止まって「手振り坂」と坂道を取り囲むように並ぶ建物の写真を撮る。
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 朝食後、階下に降り、特別に国登録有形文化財土蔵の展示物を見学。ここから先は撮影禁止とのこと。
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 思った通り、撮影禁止の展示室では、江戸時代にお茶屋で使用された中国明末の陶磁器や螺鈿漆器、日本の九谷焼伊万里焼などの貴重な品々が展示されていました。東洋の焼物コレクションを趣味とする私にとって正しく願ってもないお宝の拝見でした。

 そして10時ごろに旅館を出立。私とK氏はここで皆と別れ、古市参宮街道を南下。
 
 まずは寂照寺(浄土宗)へ向かう。このお寺は、豊臣秀頼室であった千姫の菩提を弔うため1677年に寂照上人によって建立されたお寺。しかしその後、寂れていたため、1774年に京都の知恩院から円山応挙の弟子で画僧の月僊上人が住職として赴任し、自分の絵を売って寺院の再建と宇治山田の貧民救済に尽力したという。この真ん中の建物は、国登録有形文化財に指定されている観音堂で、ここには鎌倉時代観音菩薩立像と釈迦如来立像が安置されているという。なお、この写真の左隅に月僊上人像があります。
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 この後訪れた古市参宮街道資料館で、江戸時代初期以降、参宮客で賑わい精進落としの場として有名になった古市の歴史を館長の弟さんに説明してもらった後、北上し歌舞伎の「伊勢音頭恋寝刃」(いせおんどこいのねたば)で有名になった妓楼・油屋の跡に向かう。
 この歌舞伎は1796年に油屋で起こった芸妓(遊女??)おこんをめぐる青年医師孫福斎(まごふくいつき)の殺傷事件(「油屋騒動」)を材にとって作られた演劇です。
 油屋跡を過ぎ、すぐ近くにある大林寺(浄土宗、だいりんじ)へ。ここには、殺傷者・孫福斎とおこん両者の墓が本人達の意思とは関係なく並べて祀られています。
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 その後、古市芝居小屋跡を眺めつつ右折して倭姫宮へ。        【次へ続く】