トルコ軍艦遭難慰霊碑と樫野埼灯台。


 12月15日、海金剛見学後、樫野崎駐車場で車から降り、その先端に向かう。私はわざと先頭から遅れ、ゆっくりと歩む。
 
 これは明治23(1890)年に樫野崎で座礁し遭難・・・・586人の死者を出したが、69名紀伊大島の島民によって救われたトルコ軍艦(エリトゥールル号)遭難慰霊碑です。(↓)  

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 樫野の燈台に向かう橋の上から、しばらく潮岬火成複合岩類・柱状節理の断崖絶壁を観察し、逆光気味に写真を撮る。(↓)

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 この橋を渡ると、日本最古の石造の樫野埼灯台や官舎がはっきりと見えてきました。(↓)

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 途中、左側に馬に乗って手を上げるトルコ共和国の初代大統領ムスタファ・ケマル・アタテュルク雄大な像を見かけました。(↓) これは日本とトルコとの友好を記念して設立されたものです。

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 さらに燈台に近づき、写真を撮りました。(↓)

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 これは灯台から見て撮った眼下の岩場の写真です。(↓) この付近がトルコの軍艦が遭難した場所です。

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 釣り人や岩場を拡大して写してみました。(↓) 何を釣っているんでしょうね。

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 冬の荒々しい樫野の海の様子がよくわかるでしょう。(↓)

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 橋の上から、古座方面を眺めると、遠くに古座川奥や那智の山々が浮かび上がって見えています。(↓) ここからは、手前の海岸と背後の山岳部分の違いがはっきりとわかりますね。

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