幻の「大雄禅寺」はどこに消えたのか??
『祈りの道―吉野・熊野・高野の名宝―』(大阪市立美術館、2004)の232頁に掲載された、兵庫県姫路市にある英賀神社に所蔵されている梵鐘の銘文によりますと、鎌倉時代末期の元亨元年(1321)に熊野新宮の熊野別当家庶流・宮崎家の「定有」が家祖の「行遍」(熊野速玉大社の社僧であり、『新古今和歌集』の歌人)以来、宮崎家初の熊野別当(37代)として新宮地方において「大雄禅寺」(住持・比丘慈照)を建立しました。そして正中二年(1325)に、「大工河内□□□□光吉」に梵鐘を鋳造させ、これを「大雄禅寺」に奉納したといわれています。
その梵鐘には、次のような銘が鋳記されています。
(第一区)
茲元亨元年辛酉初春之此別當
法印大和尚位定有於熊野山
新宮権與大雄禅寺孟夏五日
詣于開堂演法雖然未有大鐘
衆常介□于茲正中二年乙酉十
月之捨長鯨鋳之既成體懸樓
(第二区)
□和月撃霜□□□望速欲念
息群霊輪苦而巳謹為銘曰
鯨音鰹錚 響帰大千
法界含霊 警業□眠
(第三区)
幹縁比丘□□□ □□
寺□ □禅
法眼良秀
大工河内□□□□光吉
正中二年乙酉十月下旬
住持比丘慈照記之
しかし、この「大雄禅寺」がかつて熊野地方のどこにあったのか、そしてその後どうなったのか、未だにわかっていません。
さて、この幻の「大雄禅寺」はどこに消えてしまったのでしょうか。