三井寺境内の「熊野社」と「光浄院」の総杮葺きの客殿外観。

 
  久し振りに三井寺に行くことになって、是非とも行って見て来たかった建物は、この境内にあるはずの「熊野社」と、三井寺山内にある「光浄院」の総柿葺きの客殿(国宝)と庭園(国名勝)でした。
 
  熊野三山は、11世紀末期以後,三井寺(園城寺)の支配下に組み入れられましたが、約3年前の11月23日に、鎌倉時代末期(14世紀前期)制作の「三井寺古図」(5幅の中の1つである「中院古図」)に描写されている 「熊野社」を紹介しました。
  「熊野社」は、この古図では金堂右上に、平地に建造された切妻造り・庇(向拝)付きの建物として描写されています。
  なお,この古図の写真は,『智証大師帰朝1150年特別展・国宝三井寺展』(2008)から掲載させてもらいました。感謝申し上げます。
 
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  下の写真が、現状を伝えるものです。
  「熊野社」は現在も同位置にありますが、慶長6年(1601)に石垣の上に再建されたようで、その建物の形も桃山様式の建物になっています。
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  「光浄院」の総柿葺きの客殿(国宝)と庭園(国名勝)の拝観は残念ながらさせてもらえませんでしたが、外から写真だけを撮ってきました。慶長6年に再建された客殿は一番左手にある建物で、中門もあります。
  来る途中で見かけた穴太積みの石垣も、大層美しかったです。
 
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