雲海の名所で、最近「天空の城」として知られるようになった兵庫県の竹田城跡(国史跡)。

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 お久し振りです。

 昨晩(26日),やっと帰って来たばかりの私のコンピュータに,息子から写真が送付されて来ました。

 雲海の名所で、最近「天空の城」として知られるようになった兵庫県朝来市和田山町竹田城跡(国史跡)へ行って来た時に撮ってきた写真だそうです。

 息子は,休みを利用して,日帰りで行って来たそうですが,残念ながら雲海は見ることができなかったようです。しかし,十分に満足して帰って来たそうです。

 竹田城跡は,竹田駅裏にある古城山(標高354m)の頂上に築かれた,別名「虎臥城」と呼ばれる山城です。
 室町時代の嘉吉年間に,山名持豊(宗全)が本城の出石城の出城として,播磨・丹波方面から但馬方面に向かう道の途中に位置する重要な場所に,13年を費やして築いたようです。しかし,当時の城は,石垣は殆どなく,土塁を巡らせただけの城でした。

 しかし,天正5年(1577)に羽柴秀吉の攻撃を受けて落城したあと,播磨龍野の城主・赤松広秀によって,近世城郭として,山の地形を巧みに活用して現在ある形に整備されたという。

 最高所の天守台をほぼ中央部に構え,本丸以下,南方には南二ノ丸・南千畳,北方には北二ノ丸・三ノ丸・北千畳などが築かれている。規模は,南北500m,東西100mにも及ぶ大きな山城であったようです。

 しかし,赤松広秀の自刃により廃城となりました。

 写真①,JR竹田駅から眺めた竹田城の景観。

 写真②,竹田駅裏の登山道。

 写真③,反り返る石垣。

 写真④,下から見た石垣。穴太流石積みの技法による野面積みによって構築。素晴しい。

 写真⑤,石垣の細部。

 写真⑥,大手門。

 写真⑦,大手門から見た三ノ丸。

 写真⑧,三ノ丸から見た天守台と本丸。

 写真⑨,天守台の先端から見下ろした光景。息子が一番目に怖いと感じた所だそうです。雲海が拡がっていたら,この石垣の先に行ってしまいそう。

 写真⑩,更に,天守台の別の先端から見下ろした光景。息子が二番目に怖いと感じた所だそうです。この芝生の先が崖です。おお,恐あぁ・・・・。