再建された和歌山城

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 和歌山城は,天正13年(1585)に紀州を平定した豊臣秀吉の弟の秀長が家来の藤堂高虎に命じて虎伏山に築城させたものです。

 最初,秀長の城代として桑山重晴が入っていましたが,ついで慶長5年(1600)の関ヶ原の戦いで功を上げた浅野幸長が入城してきました。

 さらに,元和5年(1619)に徳川家康の10男頼宣が入城した結果,和歌山城徳川御三家の1つである紀州55万5千石の居城となりました。

 和歌山城は,1945年7月9日の和歌山空襲により焼け落ちてしまいました。

 しかし,それから13年後の1958年10月1日,市民の熱意と寄付によって天守閣が再建され,引き続いて,各種の建物や石垣が復元されたり,修復されたりしました。

 写真①・写真② 和歌山城天守

 写真③ 天守閣への入口

 写真④ 和歌山城内の見取図

 写真⑤~写真⑧ 岡口門へ下って行く道筋。紀州藩の中級武士であった我が父方の先祖・山○○氏もこの道を行き来したに違いありません。

 下に城内に設置された動物園があります。小さい頃,和歌山市出身の父親(養子)に城を通って動物園へよく連れて来てもらったものです。動物園の規模は小さくなりましたが,懐かしい思い出で一杯です。