「熊野山領和泉国吉見庄」の研究。

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 アジサイの季節です。昨日,カシワバアジサイの写真を見ていただきましたが,その傍に「墨田(隅田)の花火」とよばれるアジサイがひっそりと咲いているのを見つけました。

 そういえば,かつて隅田川の花火を見た時,このような花火があったっけ・・・・。

 花火のように時おり私達の目を奪い,心を騒がせる歴史資料が出現することがあります。それがこの2つの史料です。
 熊野山領庄園を調査している私にとってこの史料をどう解釈し,どう位置づけていくかは大いに重要な問題です。

 写真①, 応永5年(1398)7月19日付けの「後小松天皇綸旨」において長講堂領「和泉国吉見庄」が熊野山に寄進されています。吉見庄は,現大阪府田尻町にかつてあった庄園です。

 写真②, この文書は,康正2年(1456)8月27日付けの「足利義政御判御教書」です。この文書において,熊野山領「和泉国吉見庄」が四季御神楽をおこなう「厳重之神領」なので,一円を元のようにすべて領知し,祈祷精誠するように命じられています。なお,享徳2年(1453),「和泉国吉見庄」は沙弥性通から和泉半国守護・細川弥九郎(常有)へと譲渡されたこともあったようです(「細川弥九郎吉見庄領知状」)。

 これから,この庄園の裏付け調査をする必要がありそうです。「和泉国吉見庄」・・・・長講堂領→熊野山領→細川常有→熊野山領。

 これらの史料は,『冷泉家時雨亭叢書』51巻から引用させていただきました。感謝,申し上げます。