「河内飛鳥」自転車行(バイサイクリング) №1

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 体調がよくなって来ましたので,昨日,関西大学古代史研究会(会長・西本昌弘教授)のお誘いを受け,初めて大阪の「河内飛鳥」と呼ばれる地域の東辺に春の遠足に行って来ました。

 参加したのは,私を除くと,大学生2名,大学院生8名(修士コース2名・博士コース6名),卒業生2名でした。

 段差の大きい地域の自転車行(バイサイクリング)。病み上りの人間にとっては大変だなあ,とは思いましたが,若い皆さん方のお気遣いのお蔭で無事完走できました。

 写真①,上ん田古墳群(河内飛鳥千塚)の北方に連なる台地上に「飛鳥戸神社」(羽曳野市飛鳥)が南面して鎮座しています。東北部から撮影しました。「飛鳥戸神社」は延喜式内の名神大社として羽曳野市内では最高の神格だそうです。祭神は,朝鮮半島百済国出身の混伎王(飛鳥大神)です。今回は行けなかったですが,近くにある観音塚古墳(国史跡)は,7世紀の終末期古墳で,飛鳥戸造氏の族長の墳墓といわれています。

 写真②,地元の伝承によると,惣門池の西側の表示板がある付近一帯の土地が,百済系の「春日(かすが)仏師一族の旧屋敷跡」(南河内郡太子町春日字仏師屋敷)といわれています。この一族の一員であった稽文会・稽首勲父子は,葛井寺(ふじいでら)の千手千眼観音像(国宝,天平時代後期制作)の作者として有名です。

 写真③,「孝徳陵古墳」(南河内郡太子町山田)は,正式には大坂磯長陵とよばれています。直径が約32mの小円墳です。一説では,方墳の上に乗った8角形の2段式の古墳だともいわれています。

 写真④と写真⑤,「科長(しなが)神社」(南河内郡太子町山田)は,もともと二上山に鎮座していた二上山権現が地元民の願いにより,鎌倉時代前期に現在地に遷ってきたようです。本殿は,三間社流造です。風の神3神祀っています。科長=磯長=息長氏の祖先神を奉祀した古社です。
 
 写真⑥,「伝小野妹子墓」。大正時代に生花池坊流家元・池坊専慶師が命名した墓地。しかし,史料としての根拠はないようです。

 写真⑦,写真⑧,「二子塚古墳」(国史跡,南河内郡太子町山田)。長い方の一辺が61mの連結した方墳です。写真は,北東側の方墳の横穴式石室が露出した状態を示したものです。内部には家形石棺がおかれていました。7世紀中頃の百済式古墳を改良したものです。

 昨夜は,疲れからか更新することができず,すぐに寝てしまいました。

 『大阪府の歴史散歩下』(1990),パンフレット『河内飛鳥の古墳群と史跡』(関西大学古代史研究会,2009)を参照させていただきました。