14世紀前半制作の三井寺(園城寺)古図に描写された「熊野社」

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 熊野と修験道寺門派の関係を具体的に示すと思われる,滋賀県大津市にある三井寺の境内古図に描写された「熊野社」を紹介します。

 鎌倉時代末期(14世紀前半)に制作されたとされる三井寺(園城寺)古図(5幅)の中の1幅「中院」古図に,切妻造り・庇(向拝)付きの「熊野社」及びその鳥居が描かれています。

 参考までにその画面を拡大していますが,「熊野社」が描かれている所は巨大な金堂の右上の部分です。木々で囲まれた社の左下に,「熊野社」と書かれた紙が貼り付けられているところから,その存在がわかります。
 「熊野社」は現在も同位置にあります。

 熊野三山は,11世紀末期以後,三井寺(園城寺)の支配下に組み入れられ,修験道寺門派の高僧(園城寺長吏)が任命される熊野三山検校の支配の下に置かれていました。

 なお,この古図が描かれた頃の熊野三山検校は,常住院(京都の聖護院の別称)の道昭であったと推定されています。

 三井寺(園城寺)と聖護院の関係を示すものは,現在,三井寺にはありませんが,聖護院にはこの関係を示すと思われる,鎌倉時代後期(13世紀後半)の「熊野垂迹曼荼羅図」や鎌倉時代末期(14世紀前半)の「熊野本地仏曼荼羅図」がありますので,その関係がおぼろげにわかります。

 なお,古図の写真は,『智証大師帰朝1150年特別展・国宝三井寺展』(2008)から掲載させていただきました。