ルアンナムター近郊のアカ族の村にて

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 14時30分,ルアンナムターの町に帰り,シン川に沿って川を遡りました。ラオ族の村をたくさん通りましたが,木製・石製の「ねずみがえし」を持つ高床倉庫(米倉)がたくさんあることに気付きました。豊かな村なんでしょうか。

 軍隊の駐屯所・訓練所を過ぎてしばらく走り,15時20分に山奥にあるアカ族の村に到着。

 最初にガイドさんから,この村の人はアカ族の中でも特に外部の人に対して警戒心が強く尖鋭的なので,村の人を直接撮影したり色々なものを勝手に触ったりしてはいけない,などと注意を受けました。

 1枚目の写真。19世紀頃に中国雲南方面から移って来たといわれているアカ族の村は,真っ茶に濁った急流のシン川の向こう岸にあります。村そのものが要塞といった印象を受けました。 

 2枚目の写真。集落の上の方に神社のような異質な建物があるのに気付きました。しかも,その建物の前に切った竹を立てて,上の方で交差させ,上からロープのようなものがぶら下げられていることに注目。これが祖先儀礼の一環としておこなわれるブランコ祭りで使われる有名なブランコなのか。

 3枚目の写真。急流に3本の木を組んだ橋が架かっています。これが村に渡る唯一の木の橋のようです。川に落ちたら急流のためたぶん助からないでしょう。女性の中には怖がって渡るのをしぶる人もいましたが,手助けをして向こう岸に渡してあげました。
 子供達が集まって来ました。

 4枚目の写真。村の入口を表わす「鳥居」のような形をした門をくぐりました。この門には決して手を触れてはいけません。触れると大変な代償を負担しなければ帰らせてくれません。アカ族は精霊(ピー)が人を守り,幸福あるいは不幸をもたらすと考えているようです。
 門の右上に剥ぎ取られたばかりのような血のついた水牛の角が引っかけられていました。アカ族の「水牛犠牲」の儀式を表わすものでしょうか。
いやが上にも緊張が高まってきました。

 広場近くで村の大人達が集まって何かの儀式の準備をしていました。事件が起こったようです。ガイドさんが村の有力者達と何か話をしました。
 その後でもう一度,写真は撮ってもいいがくれぐれも村人を写さないように,子供にお菓子など与えないように,と注意を受けました。

 5枚目の写真。アカ族の高床住居はかなり規模が大きいです。中には入りませんでしたが,男性の部屋と女性の部屋が厳然と区別されているといわれています。
 ちょっと見難いですが,寄棟造りの大屋根に注目してください。両端に,彼等の言葉でニューパカーとよばれる千木が設けられています。そして,パプーとよばれる棟木の上に,珍しく,ブーコーとよばれる鰹木(勝男木)が並べられています。ラオスへ来て初めて鰹木(勝男木)を見ました。すべての家屋の屋根に今でもあるか,かつてあった痕跡が残っていました。

 しゃれたバルコニーのある家屋で,ある男性からパイプのようなものを見せられました。ガイドさんの説明によりますと,これはアヘンを吸うパイプだそうです。
 ちょっとやばいなあと思いましたので,私はすぐさまそこを離れて子供らが遊んでいる所に行って唐臼を搗いている様子を見せてもらいました。

 6枚目の写真。高床倉庫(米倉)です。以前,タイダム族の村で見たと同じ円形の倉が設けられています。「ねずみがえし」の痕跡はありません。穂摘み道具のことも聴いてもらいましたが,以前から鉄製の鉈鎌を使っており,穂摘み道具は使用していなかったとのことです。

 ところで,しばらくすると,ガイドさんが「引き返しましょう」といって皆を先導し始めました。状況はわかりませんが,ある家の女性がガイドさんに喰ってかかっている様子でした。私達は女性らを守りつつゆっくりと帰っていきました。

 7枚目の写真。橋を渡り切った所で,草刈りに出ていた青年が捕まえてきたモグロとよばれるネズミの仲間を見せてくれました。今夜の食料にするそうです。
  
 8枚目の写真。夕方近くなり,働きに出ていた女性達が帰って来ました。アカ族の社会は働き者の女性が支える厳格な父系社会だといわれています。女性には財産を相続する権利はなく,財産はその家の長男が全てを引き継ぐそうです。

 どうやらシナ・チベット語族に所属するアカ族の村では,焼畑による稲作農業で陸稲(餅米)を栽培している他に,キビ,トウモロコシ,豆類,砂糖キビ,ソバ,綿花,そしてお茶なども手広く栽培しているようです。なお,この他に,植物採集,狩猟,漁業,畜産(ブタ,ニワトリなどを飼育)などをおこない,副業として織物や,布に刺繍をしたものを売って生計を立てているようです。

 ここでは40分滞在しました。