紀南文化財研究会の会誌『熊野』132・133号刊行。

イメージ 1

イメージ 2

イメージ 3

 紀南文化財研究会の会誌『熊野』132・133号(104頁)が2008年1月に発刊されました。日付は諸般の事情により2007年12月1日になっています。

 以下に目次を示しておきます。会員以外の方は和歌山県田辺市のあおい書店や多屋孫書店でお買い上げください。

 論考
  山岳信仰遺跡を読み解く(一)-玉置山・備崎-・・・・・・・・山本義孝
  大辺路 熊野古道見老津長井坂口~里野・和深境界調査報告-・・・・・・・・小倉重起
  近世田辺領における追放刑(流罪)について(七)
      -博奕の罪による田辺城下追放-・・・・・・・・芝 英一
  幻の新聞『大日本新報』・・・・・・・・池田孝
  林信春『熊野詣紀行』(抄)・・・・・・・・藤井寿一
  文化財ニュース・会合メモ

 今回,かなり長文の力作論文が集まりました。

 山本義孝氏の論文は,修験道研究に関する非常にレヴェルの高い論文です。今後,熊野地方の「山岳信仰遺跡を読み解く」という形でシリーズ化していただけるようです。
 今回は奈良県の玉置山と経塚遺跡として有名な和歌山県田辺市本宮町の備崎を取り上げ,考察しておられます。その中で,玉置山の場合は,玉置三所権現の成立を宿機能を備えた社殿の成立というように理解しなければならないとし,宝冠の森〈写真1〉のように峯中路からはずれた聖域や行場の在り方をこの視点から考察する必要があること,さらに備崎の場合は,たまたま発掘された経塚〈写真10〉という視点だけからではなく,順峯入峯に伴う参籠のための宿(一の宿)という視点と,磐座祭祀という視点から評価し直す必要があることが指摘されています。あわせて,豊富な図面や写真をお楽しみ下さい。

 小倉重起氏の論文は,大辺路の再生のため,大辺路見老津長井坂口から里野・和深までをこまめに歩き,文献や伝承,古老の話などとつき合わせながら調査されたものです。
 単なる調査報告に終らない大変な力作です。できれば,多くの方がこの報告を参考にして大辺路再生路を歩かれることを願っています。

 芝英一氏の論文は,シリーズ化された実証性の高い独創的な論文ですが,そろそろ終論にむけ,当該研究の研究史と照らし合わせつつ日本史上の位置付けを明らかにしていただきたいと思います。

 池田孝雄氏の論文は,「熊野太陽」廃刊後,熊野太陽社の元社員数人が戦時大戦下の昭和一三年に発行した新聞で,今まで知られることのなかった「大日本新報」の創刊の経緯と廃刊までの過程に関して論じたものです。

 なお最後に,藤井寿一氏が林信章『熊野詣紀行』(抄)を解説付きで活字化してくれました。今後の研究に裨益すること多いご労作として感謝いたしたいと思います。