和歌山県田辺市本宮町所在の湯峯温泉・東光寺の不動明王像
和歌山県立博物館学芸員の大河内氏の観仏サイトに次回の熊野本宮展(正式には「熊野本宮大社と熊野古道」)のお知らせが載せられていました。
その中で目についたのが,和歌山県田辺市本宮町にある湯峯温泉の東光寺ですでに知られていた室町時代の不動明王像から制作年(寛正4年(1463))と制作者(「東寺大仏師康永」)をあらわす墨書が県立博物館学芸員の大河内氏らによって発見され,これが今回の展示の目玉の1つになっているとの記事でした。
東光寺の不動明王像についてここで紹介するため,昔,撮ったこの不動明王の写真を探したのですが,とうとう見つけることができませんでした。
仏像の写真は,和歌山県立博物館編『世界遺産登録記念特別展 熊野本宮大社と熊野古道』(2007)より掲載させていただきました。
この不動明王像については,かなり以前にざっと調査したことがありますが,二童子像同伴形式の力感溢れる不動明王像でした。勿論,今回も二童子像は同伴ですね。この不動明王坐像と二童子像は、元々、熊野本宮の護摩堂の本尊像であった、と想定されています。
でも,こちらは専門家でもないし,所蔵リストをつくることと平安時代の観音仏(当時でも箔はげがかなり激しかったので,今回は展示対象になっていないようですね)を調査することが目的したので,見ただけで終ってしまいました。
神奈川仏教文化研究所サイトによりますと,「東寺大仏師康永」は,寛正2年(1461)に京都市の東福寺山門楼上観音像や文明6年(1474)に愛媛県の雲門寺釈迦三尊像をつくった「康永」と同じ人物のようです。
「康永」は,七条中仏所の仏師で、東寺の講堂諸像を修理した「東寺大仏師康湛」の孫とも伝えられているようです。
現在,ちまたで注目されている南北朝時代に活躍した兵庫県円教寺の金剛薩埵像制作者として有名な「東寺大仏師康俊」(大分県の永興寺四天王像で名の知られる「興福寺大仏師康俊」とは別人)の子孫ではないようです。
神奈川仏教文化研究所サイトさん,ご教示ありがとうございました。
その中で目についたのが,和歌山県田辺市本宮町にある湯峯温泉の東光寺ですでに知られていた室町時代の不動明王像から制作年(寛正4年(1463))と制作者(「東寺大仏師康永」)をあらわす墨書が県立博物館学芸員の大河内氏らによって発見され,これが今回の展示の目玉の1つになっているとの記事でした。
東光寺の不動明王像についてここで紹介するため,昔,撮ったこの不動明王の写真を探したのですが,とうとう見つけることができませんでした。
仏像の写真は,和歌山県立博物館編『世界遺産登録記念特別展 熊野本宮大社と熊野古道』(2007)より掲載させていただきました。
この不動明王像については,かなり以前にざっと調査したことがありますが,二童子像同伴形式の力感溢れる不動明王像でした。勿論,今回も二童子像は同伴ですね。この不動明王坐像と二童子像は、元々、熊野本宮の護摩堂の本尊像であった、と想定されています。
でも,こちらは専門家でもないし,所蔵リストをつくることと平安時代の観音仏(当時でも箔はげがかなり激しかったので,今回は展示対象になっていないようですね)を調査することが目的したので,見ただけで終ってしまいました。
神奈川仏教文化研究所サイトによりますと,「東寺大仏師康永」は,寛正2年(1461)に京都市の東福寺山門楼上観音像や文明6年(1474)に愛媛県の雲門寺釈迦三尊像をつくった「康永」と同じ人物のようです。
「康永」は,七条中仏所の仏師で、東寺の講堂諸像を修理した「東寺大仏師康湛」の孫とも伝えられているようです。
現在,ちまたで注目されている南北朝時代に活躍した兵庫県円教寺の金剛薩埵像制作者として有名な「東寺大仏師康俊」(大分県の永興寺四天王像で名の知られる「興福寺大仏師康俊」とは別人)の子孫ではないようです。
神奈川仏教文化研究所サイトさん,ご教示ありがとうございました。