韓国・固城の松鶴洞1号墳

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 今を去ること23年前の1984年,日本にしかないといわれた「前方後円墳」が韓国内にもあるという主張が流布されたため,K大の教授や学生を中心とした一行が,韓国・固城邑の松鶴洞1号墳を見学に出掛けたことがありました。

 松鶴洞1号墳は,固城の町の北にある小高い丘陵の頂部にあり(1枚目の写真),その周辺には何基かの円墳があります。
 この松鶴洞1号墳は,その中の盟主と云うべき古墳で,全長66m,後円部直径約38m(2枚目の写真)あり,前方部(3枚目の写真)は若干丸くなっていますが,韓国によくある円墳2基もしくは双円墳ではなく,日本によくある「前方後円墳」であることが確認されました(4枚目の図版)。

 後円部上に石材が露呈していました(私も見ました)が,これはかつて徳島県出身の考古学者・鳥居龍蔵氏によって発掘調査された竪穴式石室の一部です。
 同時に,そこから鉄製の甲に使われた小札などが発見されていたようです。

 また,墳丘上やその周辺から5世紀ごろの陶質土器(日本流にいうと初期須恵器)の破片が採集されており(その一部は私達が採集し届け出たものか),その時期がおおよそ推定できます。
 予想されたよりも,古くなさそうで,日本の「前方後円墳」の起源をなすものとはいえず,日本の影響の下に造られたと考えるべきでしょう。

 かつて朝鮮半島最南端部にあり日本の倭国と深い繋がりがあったとされる小伽耶国は,どうやら固城の松鶴洞古墳群付近にあったと考えても良さそうです。

 東潮・田中俊明『韓国の古代遺跡2 百済伽耶篇』,阪本敏行『韓国・中国歴史紀行』などを参照。