新視点からの熊野古道散歩-和高社研第4ブロック現地研修会報告-№2

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            新視点からの熊野古道散歩
             -和高社研第4ブロック現地研修会報告-№2
 
    2,高原から近世の道を上り,中世の道を通って高原に引き返す

 このあと,高原で茶房を経営しているK氏の案内で,旧旅館通りから大門王子方面に向かって滑り易い石畳の坂道を上りました。道路も修復され,歩き易くなっています。

 棚田の間を通り,杉や桧が植林された道を上りました(1枚目の写真)。古道は,庚申さんが祀られている辺りから山道に変わり,さらに一里塚,9番道標付近から平坦道に変わりました。

 途中で,近世の道と山伏らが切り開いた中世の道の違いに関して説明しました。今まで歩いてきた近世の道を山腹に沿ってこのまま真っ直ぐ行くと高原池をへて,中世に大鳥居があったといわれる「大門王子社跡」に至ります。

 しかし,中世の道は,実は今,林に囲まれて簡単に通れなくなっている尾根上の道である可能性が高く,山林修行ということを考えると理にかなっているといわれています。

 これは実は,袋井市教育委員会の山本義孝氏の新説で,事前の修験道考古学の研修で指摘を受けたものです。しかし,古代末期から中世にかけての上皇や貴族・武士たちが実際にこの尾根の道を辿ったかどうかは未だ確められていません。

 新説を実際の目で確かめるという目的を一応達成したので,ここで道を進むことを中止し,引き返しました。しかし,その道は,今上って来た山腹をまわる左の道ではなく,近年,ある目的のために開発されたという尾根を上る右手の道です。

 この尾根道は少し勾配がありますが,葉っぱが十分に落ちているため,歩くショックがやわらげられる感じの道です(2枚目の写真)。私達は,道を上り切った所から少し進んだ所で立ち止まりました。ここが次の目的地です。

 道の右側の端に,山伏たちが中世に通ったと推定される尾根を走る熊野古道に沿って設けられた新発見の「高原経塚跡」があります。

 新聞報道によりますと,ここから石で四角く囲まれた経塚の遺構が発見され,同時に常滑焼の経壷と青銅製の経筒が破壊された状態で発見されたようです。今回は,まだ,きちんと発掘調査されていないため,簡単な話に留めましたが,たぶん「滝尻王子社」境内の経塚群のそれとは違う,本宮の長床衆(山伏)がそれなりの必要性からつくった経塚であろうと考えられています(山本義孝氏説)。

 ここで,山伏たちが通る尾根を走る道と,経塚との関係を知ってもらう,という目的を果たしましたので,その後,山を高原集落方面に向かって下りました。