和歌山県白浜町矢田・法勝寺の本尊十一面観音像と院派仏師

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 南北朝時代の院派仏師の棟梁であった「院吉」は,14世紀前半に京都幕府(室町幕府)をひらいた足利氏に重用された仏師です。「院吉」は,初代将軍・足利尊氏菩提寺である等持院の大仏師として等持院の本尊地蔵菩薩像を制作したり,天龍寺の本尊釈迦如来三尊像を制作したりしています。

 和歌山県白浜町矢田の日置川流域にある法勝寺(1枚目の写真)の本尊十一面観音像(2枚目の写真,この写真は「熊野水軍のさとシンポジウム」のポスター掲載の写真より接写,ご住職および関係各位に多謝)は,体内に記載された銘文により「院吉」の一門に属していたと見られる「院弁」によって文和3年(1354)に制作されたことがわかります。

 [頭部内面墨書]
  大檀那頼源禅門
  住持東然比丘
  并作者院弁(花押)
  大勧進同珎比丘
  
 [体部前面内面墨書]
  文和三年三月十八日 勧 沙弥(花押)

 墨書銘文には他に願主として「頼源禅門」の名前が記されています。法勝寺は当時の淡路・阿波・紀伊に勢力を拡大していた水軍領主・安宅氏の菩提寺ですので,たぶんこの「頼源」という人物も当主「安宅頼藤」に近い安宅氏の一門であったと思われます。

 像の高さは,67.4cmあります。

 なお,白浜町には院派仏師の手になる同南北朝時代の仏像が大古の梵音寺(釈迦如来像)と日置の海蔵寺(釈迦如来像)に残り二体あります。

 和歌山県博物館学芸員・大河内智之氏は,院派仏師の作品がこの時期,安宅氏の勢力圏に集中して存在していることを,安宅氏がこの時期,その政治的基盤を足利氏においていたことを意味しているとみなしておられます。

 しかし,素晴らしい仏像ですね。

 以上,『熊野水軍のさとシンポジウム』より。