『源平合戦事典』略感。

 吉川弘文館刊の『源平合戦事典』を立ち読みし,平安時代末期から鎌倉時代初期にかけての熊野の住人「湛快」と「湛増」の項目を読ませて頂きました。
 
 筆者は各々,別人です。
 
 「湛快」の参考文献の中には拙著も入れていただき,記述もほぼ的確に書かれていました。
 ただ,残念ながら,引退した熊野別当「湛快」の跡を継いだ「行範」が彼の子とされていたのには驚きました。実は,「行範」は彼の甥(兄の子)で,権別当職からの昇格です。
 
 「湛増」の記述については,これまでの多くの古い事典の焼き直しに過ぎず,新しさは殆どありませんでしたし,間違いも従来のように多い記述でした。論評も出来ません。
 これなら,「湛快」の筆者に「湛増」の項目も書いてもらったほうが良かったのでは・・・・。

 ところで,「熊野別当」つまり「熊野三山別当」を,ご両人のように「新宮別当」(熊野新宮大社の別当)と理解している方が多いのですが,「熊野別当」はあくまでも熊野本宮・熊野新宮・熊野那智の三山の別当を意味しています。歴史学の方法論にもとづき,「熊野別当」という概念は,固定的に理解されるのではなく発展的に理解されるべきでしょうね。