切目王子社をめぐる新解釈。

 昨日,日本山岳修験学会理事て修験道考古学の専門家である山本義孝氏に紀南文化財研究会でご講演いただきました。約40名の方々が参加してくれました。
 山本氏は一泊され,本日,T氏の案内で印南町の切目王子社,さらには田辺市の闘雞神社,上富田町の稲葉根王子社を調査されるとのことです。
 
 山本氏は切目王子社・中山王子社調査の後,私の勤務先を尋ねてくれましたが,ちょうど昼休み時間だったのでそのまま近くの食堂で昼食をとりつつお話をうかがいました。

 それによると,渡来伝承にあるように,切目に熊野権現が降臨したのは現在の神社地ではなく,そこから少し離れた場所にある切目岬であるという。そこからは石鎚山や淡路島が一望でき,神を迎えるには,最適の場所だという。
 彼の話によると,もとの本殿の場所は本来,近くの森の中にあった筈だとのこと。しかも,花祭りで有名な三河では,切目の神は「見る目」の神と共伴するとのこと。切目王子社にもあるとのことであるが,一度探してみようかな・・・・。
 
 民俗学初心者の私には未だよく理解できないが,面白い見解である。
 今後の研究の進展に期待したい。