西本願寺日高別院の門前

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 所用があって久し振りに御坊に行き,ついでに西本願寺日高別院の写真を撮ってきました。
 和歌山県御坊市は,浄土真宗本願寺派の日高別院の寺内町として発達した町で,御坊と言う地名もこれに由来しています。

 『紀伊風土記』などによると,戦国時代,紀伊国人領主として日高地方全体に勢力を拡大していた亀山城主の湯河直光は,1528年に攝津国江口において三好長慶軍との戦いに敗れましたが,山科本願寺の証如上人の助力によって無事,本拠の小松原館に帰還することができました。そこで,直光はその感謝の意を表すため,次男の信春を出家させ,1532年から1555年にかけて日高郡美浜町吉原に本願寺派の坊舎を建立し,多くの援助を与えました。しかし,この吉原別院も1585年の紀州攻めによって焼失してしまいました。
 1595年,紀伊国浅野幸長の家臣佐竹伊賀守の援助により,現在の和歌山市にあった鷺森御坊の別院として現在地に日高御坊が再建されました。これ以後,この日高御坊の周辺に門徒を中心に人々が集住し町場が形成され,日高地方の商業の中心になりました。
 
 写真にはうつっていませんが,現在の日高別院の壮大な本堂は,本瓦葺き・向拝付き入母屋造りの建造物で,1825年に改修されたものです。
 境内には,樹齢400年のイチョウの大木(県天然記念物)があり,それは見事なものです。