御影史学研究会の月例会について(続編)

 2人目の発表者は上椙秀之氏であった。上椙氏は,月例会における「伊勢宇治橋における渡始式」という発表の中で次のことを協調された。
 その内容をできるだけ氏の言葉で紹介すると,以下の通りである。

 伊勢神宮内宮の入口にかかる宇治橋は,16世紀から17世紀にかけて代々の「慶光院」の勧進活動によって造り替えられてきた。そこでは神式の橋祈祷と仏式の橋供養が同時におこなわれていた。
 しかし,天正18年(1590)以降,為政者による造り替えの事例が多く見られるようになってくると,次第に勧進聖の活動は必要とされなくなった。その結果,寛永19年(1642)に橋供養は停止され,それまで宮中に奉納していた万度幣を,擬宝珠の中に奉納する現在の渡始式に変えておこなうようになった。その変革の中で,特別な役割を持つ女性があらわれ,儀式を執行するようになった。
 現在おこなわれている渡始式の「渡り女」は,この最初の渡始式で橋を渡った橋姫をその起源としている。この橋姫は,橋を守護する橋神,あるいは橋を通って外界から侵入する疫神や悪霊を防ぐ境界神でもあったが,非常に嫉妬深く,1柱では様々な祟りを及ぼす神でもあった。その嫉妬深い橋神を鎮守し,本来の橋神としての役割を果たせるために,渡始式をおこなう橋姫に夫が必要だった。つまり,伊勢宇治橋での渡始式は,橋姫の鎮魂のための祭礼であったと解釈できよう。

 今後の研究の進展に期待したい。