〔書評〕豊島修氏著『熊野信仰史研究と庶民信仰史論』(『山岳修験』37号より掲載)

豊島修著
『熊野信仰史研究と庶民信仰史論』 

   一
本書は、『熊野信仰と修験道』(名著出版、一九九〇)につぐ著者・豊島修氏の第二冊目の研究論文集で、おおまかにいうと、序章と、二篇に分類された一四の論文、そして終章から構成されている。
著者はまず、全体の序論というべき序章第一節の「庶民信仰としての山岳宗教史・修験道史研究」において、庶民信仰の概念を「庶民一般に伝承され残存している信仰そのもの」と規定し、本書執筆の目的を、修験道信仰(特に熊野信仰)とその他の様々な庶民信仰が展開していく過程とその様相を歴史民俗学の立場から歴史的・社会的・宗教史的に検討した上で、その意味するところを日本宗教史・日本宗教民俗学研究の上に位置付けることにあるとし、さらに,修験道の歴史的研究の立場に立ちつつ、主に熊野修験道の宗教史的・文化史的研究を通して「日本人の精神史」研究へのアプローチを試みようとしておられる。そこに著者の尋常ならざる問題意識の大きさを感じる。
なお、著者の言説の中で特に注目したいのは、例えば熊野参詣について、従来の多くの文献史学者のように上皇・権門貴族の熊野参詣がきっかけとなってそれが始まったと考えず、まず庶民の段階での熊野参詣があり、そうした庶民の宗教現象を踏まえて上皇・権門貴族の熊野参詣がおこなわれるようになった、と考え、それまでの発想を転換させる必要がある、と主張されていることである。さらにまた、従来のような中央中心史観からではなく「地域中心史観にたった山岳宗教史・修験道史研究」の立場からその「重要性と発展性」を指摘されている点に共感を覚える。
   二
続いて書かれた序章第二節は本文第一篇の序論、序章第三節は第二篇の序論として新たに書かれたようで、相互の関係がよくわかる。では、具体的に各篇毎にその内容を紹介してみよう。
著者は、第一篇の「熊野信仰史研究の諸問題」において、第一章から第五章までの五つの論文と一つの補論を収録(一九九五~二〇〇三年にかけて発表)し、熊野三山信仰の成立とその展開に関連した問題を、熊野信仰史と熊野本願比丘尼、熊野の修験道文学と近世の熊野信仰という二つの視角から論じておられる。以下、その内容に関して概要を述べてみよう。
第一章の「熊野三山信仰史と課題」で、熊野三山信仰が古代熊野の海洋思想(「海の熊野」)と山岳思想(「山の熊野」)を基盤に発祥・変遷してきた過程を概述し、合わせて各々の時代の特色と課題について論じておられる。例えば、著者は、古代末の院政期から中世にかけての時代を身分・階層を越えた多くの人々が浄土往生と滅罪信仰、病気平癒・富貴・延命の現世利益を願った時代であり、熊野権現はこれら熊野道者の立願に対して託宣を媒介として成就させることによって、空前の熊野参詣ブームを作り上げたと主張しておられる。この主張に対して全く異議はない。
ただ、これまで主に熊野三山の検校や別当を頂点とする受け入れ側の常住・社僧・神職御師らの姿を追いその役割を重視してきた評者としては、客僧や先達としての熊野山伏や、勧進聖・熊野比丘尼らが熊野信仰を流布していく上で果たした役割は高く評価するものの、一方で常住・社僧・神職御師らに率いられた現地住民(一般大衆)が熊野三山信仰史上で果たした役割がここであまり考慮されていないことが少し気にかかる。
さらに著者は、第二章の「熊野三山神仏習合と熊野信仰」で、古代末期から中世にかけて現出した熊野信仰の特質を、修験道系の縁起譚である「熊野権現垂迹縁起」、名取の老女や道賢上人・一遍智真をめぐる説話、中世後期以降の「立願」と「願果たし」を一体とした庶民中心の熊野信仰、熊野比丘尼系の縁起物語である「熊野の本地」、「熊野那智参詣曼荼羅」などを通じて分析し、本地垂迹思想に伴う熊野三山神仏習合思想なしに、熊野参詣の隆盛化や修験道文学の成立があり得なかったことを明らかにしておられる。おおむねその考え方に賛成であるが、熊野三山といってもそれが一体化する以前の新宮や本宮における神像の存在、さらには新宮における根強い神職勢力の存在、そして神仏習合思想を受け入れるに当たって露わになった三山各々の微妙な温度差。それが各三社の成り立ちや一体化の歩みにどのような影響を与えたかを改めて細かく吟味する必要があろう。
しかし、これは、著者が果たすべき課題というよりはむしろ評者らに与えられた課題というべきかもしれない。
さらに、著者は第三章の「熊野三山の庵主・本願寺院と願職比丘尼―新宮神倉本願妙心寺文書の検討―」で、近世前期以降、新宮庵主を頂点とする熊野三山の本願所寺院九ケ寺が熊野山伏や熊野比丘尼を抱えて願職を与えていた事実を前提に、それとは別個の存在である新宮神倉の本願比丘尼妙心寺支配下の願職比丘尼の動向に関して「人別改帳」や「神倉願人法度」を通じて再考し、本願勢力の願職の権利や職掌が徐々に社家(神職)勢力に奪われていく中で、神倉登山と神倉願職の儀式だけがかろうじて十八世紀後期の妙心寺においてそれに関わる許可状配布のために実施されていたことを明らかにしておられる。
なお、個人的にいえば、第四章の「熊野三山修験道縁起と信仰伝承」は私自身にとってかなり読み応えのある論文であった。著者はここで、霊地熊野の信仰と関わりの深い修験道文学を取り上げ、熊野神垂迹由来説を指し示す熊野最古の縁起である『長寛勘文』所収の「熊野権現垂迹縁起」と熊野神の本源を天竺に求める垂迹説が中世を通じて成長していく背景として、吉野・大峰と熊野三山の一体化を主張する熊野修験側の意図が見られること、そしてそれらが成長していく過程の中で「大峯縁起」を含む多くの修験伝承がつくられていったことなどを指摘しておられる。まさに慧眼である。
また、著者は、第五章の「氏神熊野神社と近世熊野信仰―摂津国尼崎の熊野神社を事例として―」では、まず中世における熊野権現の伝播と勧請形式の特徴を述べた上で中世後期以降に熊野権現の勧請が頂点に達したとする宮家準氏の見解を改めて確認し、近世尼崎藩領内の城下町と周辺村落に展開する熊野神社と熊野信仰を事例として取り上げ熊野信仰の実態を明確にし、さらに補論の「中世北嶺修験の蓮華会と験競べ―「太鼓乗り」行事の検討―」では、天台宗比叡山修験の「回峯行者」を事例にして、葛川参籠供花行・滝行、葛川明王院本堂における蓮華会行事の一環である「太鼓乗り」行事を分析し、後者の場合、それが太鼓の上で「験力」を競う験競べであったこと、そして中世後期には蓮華会作法中に犯した過失を償うために披露する延年芸能に変化したことを明らかにしておられる。
   三
ついで、第二篇の「庶民信仰史論」において、著者は、第七章から第一四章まで八論文を収録(一九八五~二〇〇二年にかけて発表)し、日本宗教史研究・日本宗教民族学研究において欠くことのできない様々な庶民信仰の展開とその様相に関連した問題を、庶民信仰の諸相、近世村落寺院の年中行事と庶民信仰という二つの視角から近世以降にまで下って検討を加えておられる。
庶民信仰研究を専門としない評者には、少々、荷が勝ち過ぎていると思うが、今後の著者の進んでいく方向を確認するためその概要を述べ、いささかなりとも著者の研究の足跡を辿ってみたいと思う。
第七章「聖徳太子信仰の発生と展開」では、聖徳太子信仰が古代から近世にかけて様々な信仰と習合し、庶民信仰として教団化・組織化されずに多様な展開をしてきたことを明確にし、第八章「摂津地域の霊場寺院と庶民信仰―鉢多羅山若王寺釈迦院の厄神信仰―」では、除厄攘災・開運・家内安全などの現世利益を求める庶民信仰が近世および現在の大阪とその周辺の人々の間にも見出すことができることを指摘し、さらに第九章「都市大阪の薬師信仰」では、大阪における薬師信仰が近世のある時期、現世利益に応じて様々な奇跡を信じる都市住民の要求の強さから大いに人々の信仰を集めていたことを明らかにされている。
第一〇章「七福神信仰の歴史と庶民信仰」では、福を求める庶民信仰と習俗としての七福神信仰の中に蓄財・富貴・招福などを祈願する都市や村落の人々の信仰や習俗、さらには日本人の神に対する観念や庶民信仰を考える上で多くの材料が提供されていることを明示し、第一一章「稲荷信仰と福神―畿内地域を中心に―」では、「福神」としての性格を持つ稲荷に焦点を当て、畿内地域に現存する稲荷神社の由来伝承・祭祀対象・祭祀目的などを通して、農民・漁民・都市住民が抱く稲荷信仰の福神的性格を明らかにされている。
第一二章「昔話研究と霊物変化談」も興味深く読ませて頂いた。この論文では、多くの昔話の中で霊物を主役とする「さとりのわっぱ」などの昔話を取り上げ、これら昔話の主役は近世に霊物から人間になることによって天狗・鬼・山姥のように逆に悪者・道化者に変化したことなどを論じ、しかし、その中には鞍馬寺の天狗や安芸宮島の「三鬼大権現」のように、今でも人々のあつい信仰を集めている事例もあることなどを明らかにされている。
さらに、第一三章「近世但馬の真言宗寺院と年中行事―美含郡竹野谷村を例として―」では、近世の竹野谷村の真言宗寺院の年中行事の変遷と、寺院・村堂・鎮守などでおこなわれる宗教儀礼を詳細に検討し、寺院・村堂・鎮守が祖先崇拝、豊穣・豊作祈願を満たす宗教的な場として位置づけられていたことを明らかにし、第一四章「近世和州村落寺院の宗教行事―坂合部郷念仏寺の修正会について―」では、近世の念仏寺の修正会と地域住民の精神生活との関係を分析し、この念頭仏教行事・仏教民俗行事が郷内村落の安全・豊作祈願・五穀成就を求めるものであったことを明らかにされている。
以上のように、第二篇の八論文は、いずれも著者の庶民信仰研究の奥深さをより一層理解できる章立てになっている。
   四
最後に著者は、終章において全体を見通しつつ、熊野信仰の具体相や庶民信仰の在り方は日本人の精神生活文化を理解する上で重要な意義を持っているとし、修験道関係文書を含む中近世の文献・絵画史料及び基層文化をなす民俗史料との融合と、地域社会との関係を拡大しこれらの課題を通して熊野信仰と庶民信仰の内容をさらに具体化していく必要がある、と説いておられる。
後進として甚だ失礼な物いいであるが、今後も熊野三山史研究、熊野信仰・庶民信仰史研究の先達の一人として活躍していかれる著者のさらなる研究の深化をお祈りしたいと思う。
(A5判・三七四頁・七八〇〇円・清文堂・二〇〇五年四月刊)