重畳山の牛鬼〔串本町・旧古座町の民話〕

重畳山の牛鬼〔串本町・旧古座町の民話〕

 昔々,いつの頃かはっきりわからないが,聖地重畳山に身体中に黒い毛がはえている牛鬼という恐ろしい魔物がやって来て住みついてしまいました。
 それで集落の者たちは牛鬼を恐ろしがって,誰も山に近づきません。それでも,集落のために何とかしなくてははならないと思い,威勢のいい若い衆が山へ退治しに行ったこともありましたが,誰も生きて帰った者はいませんでした。
 村人たちはもうどのようにしたらいいかわからなくなって,ただただ恐ろしく,心細い日々を送っておりました。
 ちょうどその頃,古座の鉄砲撃ちの名人が牛鬼を退治する大役を買って出てくれました。いよいよ山へ退治に向かう名人に対し,村の老人は,
「魔物が目の前に現れた時,これは鏡に写った偽者で,本物は背後にいるものです。あなたが前の偽者に気をとられている間に本物が背後から襲ってくるから,よく覚えておきなさい」
 と秘伝を教えてくれました。
 名人は鉄砲と笛を持って山に入りました。やがて日もくれ,周囲が暗くなったので,名人は焚き火をしながら笛を吹いて牛鬼を誘い出しにかかりました。
 しばらくすると生温かい風が吹いてきて,名人の前に美しい女が現れました。
「おお,これが化けた牛鬼か」
 名人は老人の教えに従い,鉄砲を取るやいなや,ぱっと後ろを振り返り引き金を引いたところ,今まで聞いたことがない断末魔の悲鳴がとどろきわたりました。
 名人は恐ろしさのあまり腰を抜かし,それでも這いながら山を下りて逃げ帰って来ましたが,それっきり口がきけないようになってしまいました。
 しばらくして,村人が重畳山へ行ってみると,牛鬼の死骸は見当たりませんでしたが,そこには大きな骨がころがっていました。これ以後,重畳山に牛鬼は現れなくなりましたが,集落を救ってくれた大恩人は恐ろしい断末魔の悲鳴が頭から離れず,それに悩まされ続けた結果,かわいそうなことについに気がふれてしまいました。
      
(紀南文化財研究会編『熊野古道 大辺路の民話』〈和歌山県西牟婁振興局発刊〉より)

〔追記〕これは私が脚色を頼まれた執筆分担の文章です。