熊野別当の風体

 昨年のNHKドラマ「源義経」に登場した俳優・原田芳雄扮する熊野別当湛増のむさくるしい姿にはびっくりさせられましたが,熊野別当が正式にどのような格好をしていたか,想像を交えながら紹介してみます。

 熊野別当平安時代から鎌倉時代にかけて,上皇女院・上層貴族・上層武士の「御師」を務めることが多かったようです。
 熊野の「御師」は,日本全国から「先達」が引率してくる「檀那」とよばれる道者を熊野三山(熊野本宮・熊野新宮・熊野那智)で受け入れ,祈祷・宿泊・山内案内などに従事していましたが,鎌倉時代以降,僧侶・神官・山伏・俗人など様々な立場の人達がその職に就いていました。
 アメリカのクリーブランド美術館所蔵の「熊野曼荼羅」(鎌倉時代)に,熊野本宮の証誠殿(家津御子神阿弥陀如来〉を祀る社殿)の前で先達,檀那である武士六人と女性一人を従えてお経を唱える素絹・白衣に袈裟を纏った社僧の後姿が描かれていますが,これが鎌倉時代の本宮の御師です。御師の前に立てられた棒の先に付けられたものは,たぶん幣でしょう。また,中門から先達ら三人を社内に先導しようとしている白衣の僧侶もまた御師でしょう。
 さらに,有名な『一遍上人絵伝』(清浄光寺歓喜光寺所蔵,正安元年〈1299〉制作) に,熊野本宮の結神〈観音菩薩〉及び速玉神薬師如来〉を祀る社殿の前で先達,檀那である武士三人と女性三人を従えてお経を唱える素絹・白衣に袈裟を纏った社僧(御師)の後姿が描かれていますが,想像を逞しくすれば,この御師熊野別当家の一員か,あるいは熊野別当本人をさしていると見てもさしつかえなかろう,と推測されます。