熊野那智出身の地藏上人と足利市「龍泉寺」

閑話休題
これは,ウェブサイト「新史跡草子」の主催者AY氏から教えて頂いた資料(昭和3年版『足利市史』)です。もとより伝承ですが,実に面白く,「ベアーフィールド」研究者某としては,一度調査に行く必要がある,と思い,この夏に行って調べてくるつもりです。

寺記によれば當寺〈筆者注:JR足利駅近くの「龍泉寺」のこと〉は、土御門天皇元久2年(1205)3月の創立にて、地藏上人の開山なり。上人は、紀州那智郡の人、或る夜の夢に異形の人来り告げて曰く、
「吾れ・汝と共に、日本六十餘州を巡回して、六十六部の妙典を、各霊場に納め、且つ汝の終焉の地に、吾を奉ぜよ。吾は是れ熊野権現なり。吾は汝なり。汝は是れ吾なり。」と、言ひ終り、煙の如くにに消失せたり。上人、夢覚めて、奇異の思をなし、直に諸国の霊場巡廻の途に上り、下野国足利郡に来り、當境内の地先に於て、少時の間休みける其の折節、荷ひ来れる笈は、忽ちにして萬斤の丁重をなして、復挙ぐる能はず。乃ち霊夢に見る處の地なるを思ひ、一堂を建立して、熊野権現と稱す。是れ則ち當山の草創にして、上人時に年66。翌元久3年(1206)、上人は、當寺に於て示寂せり。
境内の四周一帯を、古来「権現堂」といふは、概して蓋し熊野権現より出でたる総稱なるべし。
室町幕府時代の末葉に至るまでは、足利氏の帰依厚かりしが如く、将軍義栄は・寺録.什寶の寄進を爲し、且つ當時の住僧18世舜栄の講を容れて、福聚山心性院立和泉寺の號定めらる。時に永禄11年(1568)なり。