剣客・小松典膳に関わる1つの史料

 
   10月です。久し振りに投稿します。
 
   江戸時代の終わり頃、江戸・護持院ケ原でおこなわれた敵討ちをご存知ですか。
 
  逆恨みにより、伯父の井上伝兵衛(御徒士組)と父の熊倉伝之丞(伊予松山藩士)を闇討ちされた討手・熊倉伝十郎(伊予松山藩士)の助太刀をして有名になった、伝兵衛の弟子で直新影流の剣客・小松典膳に関し、興味ある事実が浮かび上がってきましたので取り敢えず紹介します。
 
   最近、熊野地方に居を定める、ある旧家所蔵の文書の中に、「直新影流兵法霊剣之巻」と万延元(1860)年10月吉日付けの「霊剣伝」があることに気づきました。
 
   特に後者の「霊剣伝」はこの旧家の何代か前の当主であった道直(男達道良)に宛てられたもので、そこに小松典膳平延盛の署名と花押がはっきりと記されていました。
 
   この「霊剣伝」が発見されたことにより、この旧家で長く伝えられてきた「男達=剣客・小松典膳の弟子で直新影流の剣客」という伝承がはっきりと証明されるとともに、その実在がはっきりしていなかった小松典膳が間違いなく実在の人物であり、少なくとも幕末の万延元年まで生存していたことが明らかになりました。
 
  ところで、話は変わりますが、プロフィールの写真が秋田県を走る由利高原鉄道から見た東北最高の独立峰・「鳥海山」の写真に変わっています。
  ご注目ください。
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