日本山岳修験学会からの帰途 №② 長尾氏(上杉氏)の菩提寺・林泉寺
高田の朝市を楽しんだ後,高田城跡など他の名所には目もくれず,次の目的地であるに春日山城下に向かいました。
新潟県上越市中門前集落の中央に長尾氏(上杉氏)の菩提寺であった林泉寺(曹洞宗)があります。林泉寺は,明応6年(1497)に上杉謙信(景虎,1530~1576)の祖父長尾能景がその父重景の菩提を弔うために建立した寺です。
慶長3年(1598)に,上杉謙信の養子上杉景勝が会津へ移る時に林泉寺も移転し,後に米沢へ移りました。現在の林泉寺は,上杉氏にかわった堀秀治によって再興されました。
1枚目の写真。林泉寺前の杉並木道です。
2枚目の写真。この門は,長尾氏(上杉氏)の本城・春日山城の搦め手門を移築したといわれている惣門です。
3枚目の写真。これは山門です。正面に山門及び本堂,右側に上杉謙信関係の遺品が展示された宝物館,左側に墓地があります。
4枚目の写真。この奥の方に長尾(上杉)氏や堀氏,高田藩主の榊原氏などの墓地があります。
5枚目の写真。墓地へ上って行く階段です。素敵な階段ですね。
6枚目の写真。これが上杉謙信の遺骨が当初,葬られていた墓です。後世,上杉謙信の遺骨は米沢の上杉家廟所に移葬されました。もう30年以上も前に米沢の上杉家廟所にお参りしてきましたが,とうとうここまでお参りにやって来ました。
7枚目の写真。これは,上杉謙信と武田信玄が真っ向からぶつかりあった信濃川中島戦の戦死者のための慰霊碑です。
新潟県上越市中門前集落の中央に長尾氏(上杉氏)の菩提寺であった林泉寺(曹洞宗)があります。林泉寺は,明応6年(1497)に上杉謙信(景虎,1530~1576)の祖父長尾能景がその父重景の菩提を弔うために建立した寺です。
慶長3年(1598)に,上杉謙信の養子上杉景勝が会津へ移る時に林泉寺も移転し,後に米沢へ移りました。現在の林泉寺は,上杉氏にかわった堀秀治によって再興されました。
1枚目の写真。林泉寺前の杉並木道です。
2枚目の写真。この門は,長尾氏(上杉氏)の本城・春日山城の搦め手門を移築したといわれている惣門です。
3枚目の写真。これは山門です。正面に山門及び本堂,右側に上杉謙信関係の遺品が展示された宝物館,左側に墓地があります。
4枚目の写真。この奥の方に長尾(上杉)氏や堀氏,高田藩主の榊原氏などの墓地があります。
5枚目の写真。墓地へ上って行く階段です。素敵な階段ですね。
6枚目の写真。これが上杉謙信の遺骨が当初,葬られていた墓です。後世,上杉謙信の遺骨は米沢の上杉家廟所に移葬されました。もう30年以上も前に米沢の上杉家廟所にお参りしてきましたが,とうとうここまでお参りにやって来ました。
7枚目の写真。これは,上杉謙信と武田信玄が真っ向からぶつかりあった信濃川中島戦の戦死者のための慰霊碑です。