ヴィエンチャンにて

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 14時,何日かぶりに首都ヴィエンチャンに帰って来ました。

 まず,楽しみにしていたラオス国立博物館に向かいました。ところが,修理のためしばらく休館する,の表示あり。
 なんだって,休館だって・・・・????
 現地の旅行社,今回の日本の旅行社はいったい何をしていたのか。これは契約違反ではないか。
 怒りが込み上げてきましたが,何だか諦めが先に走り,抗議する意欲わかず・・・・。

 そのまま買物のため,ガイドの案内で何軒かの商店を廻ってお土産を買い,さらにラオス最大のマーケット・「タラートサオ」(中に国営のヴィエンチャン・デパートメントストアーが入っているという)ヘ出発。ここで,約1時間買物。

 その後,「アーヌサワリー(パトゥーサイ)」へ向かいました。

 1枚目の写真。これがラーンサーン通りから見たアーヌサワリー(パトゥーサイ)」です。

 「アーヌサワリー」とは「記念碑」という意味で,本来この建物は戦死した兵士の霊を慰めるために建てられた戦没者慰霊塔の役割を担うものでしたが,建設着手から48年たった現在でも未完成のままです。
 「パトゥーサイ」とは「凱旋門」という意味で,21世紀に入ると,このアーヌサワリーのことをこのように呼ぶようになりました。
 階上からの見晴らしは絶景だそうですが,時間が足りなかったので写真を撮るだけで,次の名所・「タートルアン」に向かいました。 

 タートルアンとは,「大塔」という意味で,ヴィエンチャンのシンボルの1つである,なだらかな丘の上に建つ高さ45mの黄金の塔をさしています。ここは,現在のラオス仏教界最高位にある寺院とされています。
 その起源は紀元後3世紀に遡ると伝えられていますが,証拠はありません。ただ,記録によると,ラーンサーン王国のセーターティラート王が都をルアンプラバーンからヴィエンチャンに移した1566年に建設が始まったとされています。1873年に中国軍の侵略により破壊されましたが,1930年代に入り修復されて現在の姿になったとのことです。

 2枚目の写真。正面に見えるタートルアンの前の巨大な広場へ入る門です。広場は,市民の憩いの広場といった感じで多くの市民で賑わっていました。

 3枚目・4枚目の写真。もう夕方なので周りはかなり暗くなってきていました。
 タートルアンは,真上から見ると,一辺約85mの正方形をした外壁で囲まれています。仏塔そのものは,一辺が約60mの正方形をした建物で,中央の大仏塔を無数の小仏塔が二重に取り囲むようにつくられています。
 見学時間オーバーのため,タートルアンへ入る門は閉鎖されており,残念ながら中へ入ることはできませんでした。
 
 5枚目の写真。正面に,セーターティラート王の坐像が置かれていました。 

 6枚目の写真。タートルアンへ入ることができなかったため,近くの寺・ワットタートルアンヌアへ詣でました。

 7枚目の写真。その寺の中では夕方の法要がおこなわれている最中でした。お経の声だけが響く静かな空間がそこにありました。その中で,僧侶や大人はとも角として,1人の少年が熱心に祈りを捧げている姿に心をうたれました。出家予定の子供でしょうか。

 8枚目・9枚目の写真。電燈の明かりに照らされた黄金のタートルアンです。綺麗ですね。

 その後,ガイドの声に促されてバスに乗り,暗くなったメコン川の畔に向いました。
 
 10枚目の写真。向こう側がタイです。
 
 ここまで無事に来れて良かったです。