第29回日本山岳修験学会妙高大会3日目・妙高付近巡検 №①

イメージ 1

イメージ 2

イメージ 3

イメージ 4

イメージ 5

イメージ 6

イメージ 7

イメージ 8

イメージ 9

イメージ 10

イメージ 11

イメージ 12

 妙高市関山駅付近の交差点を駅と逆方向に入っていくと,鬱蒼とした森の中に「関山神社」があります。

 ここは霊峰・妙高山の里宮として,8世紀初期に,熊野那智の開祖・裸形上人によって開山されたといわれています。古くは関山権現と呼ばれていたそうです。妙高山頂には「関山神社奥院」があります。
 
 1枚目の写真。関山権現神社の社殿です。社殿は,文化元年(1808から文政元年(1818)にかけて建設されたもので,神殿・幣殿・拝殿が1棟をなす総欅造り・権現造りの建物です。


 2枚目の写真。内部には3体の仏像(聖観音菩薩像,十一面観音菩薩像,騎獅誌文殊菩薩像)の大きな写真が掲げられています。これが関山権現のご神体3体(国常立尊イザナミノミコト,スサノオノミコト)ですが,いずれも神仏習合・神仏混交時代の影響をうけ,本来の仏像の姿で祀られています。
 市指定文化財の十一面観音菩薩像,騎獅誌文殊菩薩像は,いずれも江戸時代に製作されたものです。

 3枚目の写真。新潟県文化財に指定されている「聖観音菩薩像」は,7世紀後半(飛鳥時代後半)に朝鮮半島新羅王国で制作されたものです。残念ながら,誰がこの仏を招来したかはわかっていませんが,あるいは裸形上人かもしれません。この写真は,久野健『仏像の歴史-飛鳥時代から江戸時代まで-』(山川出版社)より掲載させていただきました。
 
 関山神社の夏祭りには,「仮山伏の棒使い」「松引き」「若者達の相撲大会」「神楽舞」などが奉納され,「神輿渡御」などがおこなわれます。
 4枚目,5枚目,6枚目,7枚目の写真は,「仮山伏の棒使い」の演舞を,今回の巡検に合わせて特別に演じてくれたものです。素晴らしく力の籠もった奉納演舞でした。
 
 8枚目の写真。妙高堂の脇の建物の中に25体の石仏がぎっしりとコンクリートに並べて埋められています。これが,平安時代末期に制作されたという阿弥陀如来像や弥勒菩薩像を中心とした「関山石仏群」です。
 元来,あちこちに散らばっていたものを後世の人が集めてここに安置したものと考えられています。同じような石仏は他にも9体あるそうです。
 
 9枚目の写真。「関山仏足石」は礼拝の対象として使用された,お釈迦様の足裏を刻んだ石です。じっくりと目を近づけてよく見て下さい。高さが190㎝,横が160の大自然石の左端に舎利塔,中央に仏足,右端に仏手華判(釈迦の実印)が陽刻されています。
 関山仏足石は,奈良薬師寺の仏足石に次いで古いものですが,仏像崇拝以前の3者を同一の面に刻んだものとしては日本唯一のものとされています。

 10枚目,11枚目の写真。関山神社の北側に,「別当法蔵院跡と石造りの庭園」があります。

 12の写真。杉木立の一角を伐採した後に現れた,石庭が借景とした妙高山,大倉山,神奈山の遠景写真です。

 妙高山が別名・須弥山といわれた理由がわかりました。