2代熊野三山検校「行尊」と西国三十三所観音巡礼

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 岡山市就実大学教授・川崎剛志氏から,私が以前より強く希望しておりました科研報告書「山岳修行僧行尊の伝記と詠歌についての総合的研究」をご恵与いただきました(1枚目の写真)。
 感謝,申し上げます。

 以下,それに関連した事について書かせていただきます。

 現在,西国三十三所観音巡礼が,人々の注目をあびています。

 西国三十三所の観音霊場の内容と巡礼の順序の確立に関して論じる場合,天台宗寺門派の高僧の記録をまとめた『寺門高僧記』に収載された2種の「三十三所巡礼記」が問題になります。

 このうち最古のものは,川崎剛志氏らが取り上げた,31世園城寺長吏・2代熊野三山検校・44世天台座主をつとめた平等院大僧正で歌人の「行尊」(1055~1135)の巡礼記です。
 そこには,三十三所観音霊場の順番(本尊・所在)と寺名と願主が記載されています。

 2枚目の図表。「行尊」の巡礼記に列挙されている,札所の順番と寺名をあげたものです。

 この巡礼記は,順序が現行のものとは大きく違っているため,その真偽を疑う人もいますが,他にも長谷寺を1番札所とする史料も確認されているため,三十三所観音霊場は,12世紀前半にはすでに成立していたものとみなされています。

 3枚目の写真。1番札所・長谷寺の十一面観音画像。室町時代(15世紀)制作。

 4枚目の写真。2番札所・龍蓋寺(岡寺)の菩薩半跏像。奈良時代(8世紀)制作。

 奈良国立博物館『特別展 西国三十三所観音霊場の祈りと美』(2008)から,2枚目の図表,3枚目の写真,4枚目の写真を掲載させていただきました。