ラメ族の村と,そしてモン族の村にて

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 9時50分,クム族の村を出発。

 10時15分,ルアンナムター県ヴィアンプーカ郡の中心を通過。

 10時30分,モン・クメール語族の一員であった少数民族カン(カム)族の村に到着し,暫時休憩。10時50分,カン族の村を出発。

 11時50分,ボケオ県の少数民族ラメ族の村に到着。

 1枚目の写真。ちょうど学校の先生の家造りがおこなわれている最中で,村人総出で屋根が棕櫚の葉で葺かれていました。

 2枚目の写真。道路を隔てた所で1人の女性が必死に屋根に葺く棕櫚の葉を編んでいました。しばらく皆でその編み作業を見せてもらいました。

 12時40分,希望していたモン族のランぺーン村に到着。目的はソングチャ村で手に入れることができなかった穂摘みの道具(ヴォ)を探し,できれば手に入れることでした。

 3枚目の写真。子供たちが集まって来ましたので,ここで簡単なモン語を教えてもらいました。ちなみに( )の中はラオ語の言葉です。
 「今日は」・・・・ニャージョンもしくはイャーヨーン(サバーイディー)
 「ありがとう」・・・・ワッチャオ(コプチャイ)
 「さようなら」・・・・ジャイムーンもしくはヤムーン(ラーコーン)

 4枚目の写真。村の中を歩き回り,私が描いた穂摘み道具の絵を見せながら,その情報を集めて回りました。平土間式の家が多いです。

 そして,ようやくある家で耳寄りな情報が入ってきました。それはこの家のお祖母さんが似たようなものを持ち,かつて使っていたという情報でした。しかし,残念ながらお祖母さんは今,畑に出掛けており,いないとのことでした。すると,この家の孫の青年が単車に乗り畑に行ってお祖母さんから情報を聞いてきてくれることになりました。しばらく待ったのですが,帰ってきた青年は「お祖母さんは家のどこかに仕舞い込んでしまったので探さなければ分からない」とのことでした。がっくり・・・・。
 ところが,この話を聞きつけた別の女性が家に帰り,持ってきてくれました。

 5枚目の写真。やはりありました。予想した,3個の丸い小さな穴を持つ長半月形の木製の穂摘み道具(刃に当たる部分に鉄片が嵌め込まれている)と形は違いますが・・・・やはりありましたね。
既に使われなくなって久しいためか刃部は完全に錆びていましたが,稲の穂の部分だけを摘み取る道具でした。

 6枚目の写真。このように,手のひらにこの道具を握り,稲の穂を一本一本,摘み取っていったものです。持つ補助の部分が竹で作られていますので,ランテン族のそれと共通するものがあります。これは何とよばれていますかと訊いたところ,ターウーグァンブレという言葉が還って来ました。

 7枚目の写真。これらはタイのメオ族が使っていたと文献(『稲のアジア史 2巻 アジア稲作文化の展開―多様と統一―』)に記載されている穂摘み道具です。上の道具とよく似ていますね。下の道具も左右の出っ張り部分を別にすると,3個の丸い小さな穴があるところなど,ソングチャ村で見た穂摘み道具と似ています。下の方が古くて上の方が新しいのでしょうか。メオ族とモン族は同族です。

 ここには40分滞在しましたが,すでに昼食の時間もかなり過ぎていましたので,13時20分,後ろ髪を引かれながら出発しました。