モン族のソングチャ村(クライマックス続編)

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 昨日掲載した「モン族のソングチャ村」の続編です。

 実は,この広場で,嬉しい一期一会(いちごいちえ)の出会いと,反対のくやしい出会い,次に繋がるモノとの出会いがありました。

 1枚目の写真。私達がこの村を訪れたことを,千木(ちぎ)で押さえた大きな藁葺きの家に住む老人がラオスの楽器を演奏して歓迎してくれました。この楽器の名前をガイドさんに訊くと,ケーンだと教えてくれました。
 一期一会の思いがけない嬉しい出会いとなりました。

 2枚目の写真。演奏も終って帰りかけた時,別の老人が現れ,私達にある道具を見せてくれました。それは3個の丸い小さな穴を持つ長半月形の木製の道具で,刃に当たる部分には鉄片が嵌め込まれていました。鉄片は,元は鋭く磨かれていたと思われますが,既に使われなくなって久しいためか完全に錆びていました。

 これは実は,稲を収穫する道具です。稲の収穫方法には,稲株の根元から鎌で稲株を刈り取る方法と,稲の穂だけを摘み取る方法とがあります。この場合は,手のひらにこの道具を握るか,この老人がしているように穴に紐を通して使うかして,稲の穂を一本一本,摘み取っていきました。

 東南アジアでは,最近まで島嶼部のインドネシアやマレーシア,大陸部のラオスやタイ・ベトナムなどで使用されていたようです。ラオスの事例は,すでに考古学者のY氏によってビエンチャンとルアンプラバンの間に住む苗(ミャオ)族が使用しているという話が紹介されていますが,これはモン族のことをさしていたものと推察されます。

 老人はこれを5万キープか5ドルくらいで売りたがっていましたが,買う決意がつかず一期一会の出会いを結果に結び付けることができませんでした(写真を撮らせてもらったのでこれでも良かったですが)。後の展開を考えるとこのとき買わなかったことが悔やまれてなりません。

 3枚目の写真。2000年以上前の日本の弥生時代の農作業に使用された石包丁とよばれる道具です。この石包丁は稲の収穫の際,専ら稲の穂だけを摘み取るのに使われました。しかし,古墳時代以降になると,鉄製の鎌が使われるようになり,刈り方も穂摘みから根刈りに変化していきました。

 4枚目の写真。その石包丁を使用した稲穂摘みの仕方を表わした絵です(国立歴史民俗博物館編『れきはく案内 日本歴史探検1巻 古代を発掘する』〈1988〉より掲載)。

 5枚目の写真。トタン屋根の高床の倉庫に注目してください。高床の柱の上の部分に4柱ともトタンが巻かれています。

 この時は穂摘具のことが頭にあったためあまり深く考えなかったのですが,バスの中でT先生と話をしているうちにその重要性に気付きました。あれは倉庫の中に納めた稲籾を鼠などの被害から守るための「ねずみがえし」が壊れ下部だけが残されたモノではなかったか,と。
 それにしてもトタンとは・・・・。

 実は,この後,多数民族,あるいは少数民族の村々で,ドキドキするようなモノとの出会いが相次ぎます。

 6枚目の写真。「ねずみがえし」を復元した弥生時代の高床倉庫の写真です。右下に拡大された丸4角形の「ねずみがえし」が掲載されています(国立歴史民俗博物館編『れきはく案内 日本歴史探検1巻 古代を発掘する』〈1988〉より掲載)。

 これが1時間足らずの短い時間のうちに起こった出会いです。チャンスを捕まえたのか,それとも逃がしたのか・・・・・。