鎌倉時代の熊野牛玉宝印の1例

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 以前にも紹介しましたが,熊野牛玉宝印は熊野参詣の隆盛と共に霊験著しいものとして珍重されたため,その熊野牛玉宝印の裏面は起請文として広く利用されました。

 起請文としての利用例は,『玉葉』寿永3年1月9日条(源義仲平氏との間で和平協定を結ぶ際に鏡に張られた起請文),『吾妻鏡』文治元年5月27日条(源義経腰越状の中に書かれた起請文),『延慶本平家物語』(土佐房昌俊義経に対して疑念を解くために提出した起請文)などにあります。

 いずれも,源平合戦のころの事例で,特にその名をよく知られていた神々がその対象に選ばれています。

 ところで,熊野牛玉宝印といえば,以前も紹介した烏で描いた宝印が有名です。

 ここにあげたのは,熊野三山の統轄機構の一端を知る上で注目されている弘安11年(1288)正月5日付けの「熊野山衆議下知状」に捺された,種字キリーク(熊野本宮の本地仏である阿弥陀如来)の印文を刻んだ光背形の宝印です。
 ここには,このような宝印が5つ押されています。

 記述にあたって『本宮町史』を参考にしました。