熊野速玉大社所蔵の「熊野別当代々次第」の一部

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 写真を整理していたら,熊野速玉大社所蔵の「熊野別当代々次第」を写真に撮ったY氏からいただいた写真が出てきました。

 皆様に現物を見ていただくことも大切と考え,ここに17代から20代にかけての熊野別当をつとめた4人の別当の写真を紹介します。

 同時に掲載した系図でその人物が熊野別当家内でどの位置にあったかを確認してください。

≪17代 長兼〈不明~1145〉≫

 寛治4年(1090),15代熊野別当長快は,白河上皇の熊野参詣の際の功により熊野山僧としては初めて,法橋位という一番下の僧位を与えられ,僧綱の一員となり,熊野山での自らの政治的地歩を確かなものにしたが,長兼はその3男。
 保安4年(1123),長兼は,2兄の16代別当長範の補佐役として権別当になったが,熊野中辺路の重要拠点である富田川中流域で王子社や宿舎を設置し在地支配を推進した。
 康治元年(1141),17代別当に補任された。

≪18代 湛快〈1099~1174〉≫

 長快の4男。
 熊野への入口で,熊野中辺路の重要拠点である田辺地方で王子社や宿舎を設置し,熊野本宮から勧請してきた新熊野12所権現社を中心に在地支配を推進した。
 久安2年(1145),別当に補任された。
 
≪19代 行範〈1115~1173〉≫

 長範の長男。
 熊野本宮にいた別当にかわって熊野新宮の社僧・神官たちを統轄した新宮在庁および在地領主としてその支配を推進。
 源為義女たつたはらの女房(後世の鳥居禅尼)と結婚。
 承安2年(1172),別当に補任された。
  
≪20代 範智〈1121~1181〉≫

 長範の2男。
 承安4年(1174),別当に補任された。
 権別当に田辺家の湛増(湛快の2男)を任命。
 治承・寿永の乱の最中に別当として活躍したが,間もなく死去。