リビアの「レプティス=マグナ遺跡」(世界遺産)をたずねて

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リビアの「レプティス=マグナ遺跡」(世界遺産)をたずねて

 2000年末から2001年初めにかけて,アフリカ北部のイスラム社会主義国家・リビアに行って来ました。リビアにはいくつかの「世界遺産」がありますが,以前紹介した西の「サブラタ遺跡」に引き続いて東の「レプティス=マグナ遺跡」を紹介します。

 紀元前9世紀から紀元前8世紀にかけて,西アジアにいたフェニキア人が,リビアの西側海岸に交易拠点として「サブラタ」,「オエア」,「レプティス=マグナ」などの植民都市を建設しました。

 「レプティス=マグナ」は,後に他の都市と同様,同じフェニキア人の植民都市であった「カルタゴ」(現在のチュニジアに所在)の支配の下に置かれ,その衛星都市の1つとして栄えました。

 1枚目の写真は,かつてレブダ川が流れを注いでいた旧港付近を撮った写真です。この付近にはフェニキア時代の遺構群が散在していますし,右手には倉庫群跡が望見されます。

 ところが,カルタゴローマ共和国,さらには先住民族の国家であるヌミディア王国とローマとの戦争に巻き込まれ,紀元前1世紀には,ローマ共和国が支配するアフリカ属州の一部となりました。

 紀元後2世期末期から3世紀初期にかけてローマ帝国皇帝の地位にあったセプティミウス=セウェルスは,出身地であるトリポニタニア地方のローマ植民市の都市化を進展させ,内陸部からもたらされる物資の輸出港としてこの地方最大の都市・「レプティス=マグナ」が繁栄する礎を築きました。

 2枚目の写真は,「レプティス=マグナ」にある4つの凱旋門のうちもっとも巨大で華美なセプティミウス=セウェルスの凱旋門を撮った写真です。

 3枚目の写真は,2世紀前半にローマ帝国皇帝の地位にあったハドリアヌスの浴場を撮った写真です。温浴場・熱浴場・日光浴場など色々な設備が整っていたことがわかります。ローマ人って,私達同様,本当に風呂が好きな民族だったのですね。

 4枚目の写真は,何だと思いますか。そうです。ローマ帝国時代の水洗トイレです。豪華ですね。大理石製ですよ・・・・。

 5枚目の写真は,「レプティス=マグナ」最大の見所の1つである巨大なフォーラム(公共広場)を撮ったもので,6枚目の写真はその一角の高い所に据えられたたくさんのメドゥーサの首の1つを写したものです。

 しかし,4世紀に入り,さすがの「レプティス=マグナ」も,内陸部との交易が衰退すると,経済的な優位性を失いました。「レプティス=マグナ」は,5世紀にゲルマン系ヴァンダル人によって破壊されましたが,ビザンツ帝国によって部分的に再建されました。そして最終的には,7世紀にイスラーム・アラブ軍によって「レプティス=マグナ」は無人の遺跡と化してしまいました。