シリアの「パルミュラ遺跡」(世界遺産)をたずねて

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 13年前の1994年から1995年にかけての冬休み,アメリカ合衆国御指定のテロ支援国家・シリア共和国を旅行して来ました。この旅の中で,今でも交際している数多くの友人ができ,私にとって良い旅となりました。

 なお,今回は,訪問者1万人カウント達成を記念しまして,取って置きの写真・シリア砂漠の都市「パルミュラ遺跡」を用意しました。
 中には観光写真ではなく芸術写真として意識して撮った写真もあります。私は写真に物語を含ませる手法でそんな写真を撮って来ました。さて,どれでしょうか。2枚あります。

 ローマ帝国によって滅亡させられるまで,ゼノビア女王の統治の下に置かれて繁栄していたパルミュラ王国。その首都の残骸「パルミュラ遺跡」。

 まず,その遺跡を代表するバール(ベル)神殿に参詣し(1枚目の写真,2枚目の写真),砂漠の旅の平安を祈りました。
 このバール神殿は,「パルミュラ遺跡」最古の建物(32年に完成)だそうで,建物の上に出ることも可能。ここだけは入場料金が必要。
 3枚目の写真は,バール神殿に残る神々の線画を撮ったものです。

 4枚目の写真は,身分の高い人達を葬った塔墓(共同墓地)の建物です。この煉瓦造りの建物の内部は,現在の死体安置所のような構造になっています。

 5枚目の写真は,遺跡の柱の陰で憩う羊飼いと羊の姿を偶然に写したものです。スイスの牧場で憩うセガールの絵画をちょっと意識したことは確かです。

 6枚目の写真の背後に,長く伸びた列柱廊が見えています。前景に偶然に通りかかった馬車に乗る人とこの遺跡に関係していると思われる人が立ち話をしている光景をとらえて写したものです。

 7枚目の写真は,この列柱廊の入口である凱旋門を入り,しばらく歩いてから後ろを振り返り門の方を撮った写真です。凱旋門は3世紀初頭に建造されました。

 8枚目の写真は,赤さが際立つ花崗岩製の4面門を撮った写真です。赤い柱に使われた石は,遥々とエジプトのアスワン付近から運ばれて来たそうです。

 9枚目の写真は,4面門の近くにある円形劇場を撮った写真です。2世紀前半の建造物だそうです。遥か向うに,アラブ人が建設した17世紀頃の要塞が見えています。

 10枚目の写真もまた,凱旋門の写真ですが,遠くまで行って帰って来ながら撮った写真です。団体旅行なので,3世紀頃活躍したゼノビア女王(クレオパトラの子孫と名乗った美人女王)の宮殿のあった突き当たりの場所(ローマ皇帝ディオクレティアヌスの野営)までは行けませんでしたので,午後に賭けることにしました(11枚目の写真の左端に見えるのがディオクレティアヌスの野営と都市の城壁)。
 しかし,これがプライベート・ハプニングを呼び起こし,夕食におくれる原因になりました。正式の報告は,旅行記の中で。しかし,その報告書がいつ出されるかは未定(大笑)。

 12枚目の写真は,オアシスの中に展開するヤシ農園を撮った写真です。真ん中を水路が流れています。この水路は,私達が泊まったシャーム・ホテルの近くにあるエフカの泉に繋がっているのだろうか。
ある人とこの農園の道を一緒に歩こうと考えていたのですが,連絡ミスで行き違ってしまいました。人っ子一人いない,静かな午後でした。
 後でヤシの実の干した物を買って食べましたが,干し柿や干しイチジクに似て非常に美味しかったです。やみつきになりました。

 13枚目の写真は,アラブの要塞から,墓地らしき遺構が埋っていると覚しき砂山や,オアシス,農園,パルミュラの町並み,そして向うに広がる沼地を撮ったものです。蜃気楼かなと思ったのですが,現地を案内してくれた人はこの時期だけ広がる湖であると解説してくれました。

 現在のパルミュラは,シリア砂漠の真ん中にある人口3万人の一地方都市に過ぎません
が,かつてゼノビア女王があれほど愛した理由の一端が理解できました。