「弁慶・湛増親子の銅像」に物申す。

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 今年もあちこち初詣しました。
 あまりやりすぎると神様どうし喧嘩するんじゃないか,と思うくらい私はあちこちへ詣でます。

 当然,和歌山県田辺市の闘雞神社にもかなり遅くなってから行きました。そして,十日戎の日にもまた行きました。写真はその時に撮った写真です。

 なお,ついでに境内にある「弁慶と湛増親子の銅像」も久しぶりに写しました。
 弁慶が湛増の実子であるかどうかは伝説の問題なので,闘雞神社がこのような銅像をつくって顕彰しても何ら問題はないと思います。
 しかし,問題はその格好です。弁慶は僧侶ですから,この姿で問題ないと思うのですが,問題は湛増の格好です。

 湛増は神仏混交時代の闘雞神社の社僧(僧侶)です。しかも,法眼という僧位を官許された官僧であり,熊野三山(熊野本宮大社・熊野新宮大社・熊野那智大社)の元締めというべき別当でもありました。その人物が,この銅像のような,貴族や武士・神官が着用する立烏帽子・狩衣の姿をして悠然と腰かけていたのでは由々しき問題です。

 まず烏帽子を取らせ,頭は坊主姿にきれいに剃り上げるべきでしょうね。そして,官僧としての正装である白い衣に白い袴を身に纏わせ,さらにその上から法眼の位に相応しい袈裟を着用させるべきでしょう。

 もうそろそろ,事実にのっとった格好をさせるべきでしょう。やはり,このまま放置したのではとんでもない誤解を与えます(湛増は神官ではありません)。神社の方に叱られそうですが,事実にもとづいて湛増の像だけでも造り直すべきでしょう。