白浜町の名所・円月島と塔の島

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 1番目の写真は,関西の人ならば誰でも知っているはずの,白浜の五大名所の1つとして有名な「円月島」です。
 先日,久し振りに故郷の白浜町に行き,熊野三所権現神社に初詣した折に,白浜の象徴というべき臨海の「円月島」の写真を撮って来ました。

 瀬戸湾頭に浮かぶ「円月島」は,昔から神の住む島といわれ,島への無断上陸は禁止されていました。
 でも,私は小学4年の時,遊び友達数人(Y・T,H・M,Y・M,H・Sら)といかだを竹で作り,瀬戸浜から「円月島」へ渡ろうとして途中で見事失敗し,ずぶ濡れになったことがありました。帰った後,こっぴどく父親に叱られ,夕飯を抜かれましたが,祖母のお陰で腹ぺこのまま寝ることだけは免れました。
 しかし,楽しかったなあ。森や海を荒し回っていた悪ガキの頃の印象に残る思い出です。

 ところで,2つ目の写真を何の写真だと思いますか? 左の島は「塔の島」といいます。右に向かって,単なる小さな島の連なりに見えますが,実はこれは江戸時代に田辺湾頭南端にあったはずの,もう1つの「円月島」のなれの果てなのです。
 かつてあった時,今ある「円月島」のように綺麗な左右対象形はしていませんでしたが,やはり「円月島」でした。当時の絵図を見ると,「塔の島」とよばれる島の左側よりも島の右側の方が大きく,穴もやや左に寄って開いていたようです。かつてあった「円月島」を頭の中で想像してみてください。

 しかし,この田辺湾の「円月島」も,江戸時代末期に,荒れる波に削られ壊わされてしまい,今ある姿になりました。2つの写真を比べてください。波が違うでしょう。田辺湾ではウィンドーサーフィンができますが,瀬戸湾では無理です。だから,瀬戸湾の「円月島」は現在ある姿のままに残ったのです。

 もし,もう1つの「円月島」が残っておれば,白浜は現在以上により多くの観光客を集めていたことでしょう。