滝尻王子社内に設置された宝篋印塔

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 滝尻王子社内に設置された宝篋印塔

 ここに掲載したのは,古くから熊野三山への入口に当たると認識されていた滝尻王子社内に設置された宝篋印塔の写真です。

 宝篋印塔とは,皆様ご承知のように,鎌倉時代前期以降,専ら死者の墳墓の標識や経塚の標識として,あるいは死者の追善供養や生者の逆修のために建てられたものです。逆修というのは,生者が自分の生存している間に自分のために死後の法要を営むことです。
 
 宝篋印塔の形は関西地方と関東地方とではやや違っていますが,関西地方では普通,次のような形をしています。

 まず地上に,何枚かの平石によって方形の基壇を築き,その上に何弁かの単弁もしくは複弁の反花を彫り出した,一般的に反花座(かえりばなざ)と呼ばれる基礎部分を設けます。しかし,現状を見る限り,基壇や基礎部分を持たない宝篋印塔もかなり多くあります。

 そして,その上に方形の台座(礎石ともいうし,またこの下に何もなければこれ自体を基礎という場合もある)が据えられます。台座側面に何も施されていないものもありますが,中には曲線の集合体である格狭間(こうざま)が施されているものもあり,時代判定の重要な決め手の1つになっています。
また,稀には台座に年号や供養をおこなった人物,さらにはこの宝篋印塔が造営された理由などについての銘文が刻まれていることもあります。なお,この台座の上部には,平均2段の段級または蓮弁の反花が彫り出されています。

 さらに,その上に方形の塔身(大日如来を象徴していると看做す)が置かれています。4面には月輪(がちりん)と呼ばれる円形部分が作られ,その中に仏像や東西南北(金剛界胎蔵界の区別があります)を意味する4仏の梵字が刻まれています。
 しかし,場合によっては,梵字が刻まれた月輪の下に蓮華を刻んだり,月輪の中に梵字と共に蓮華を刻んだりする事例もI町にあります。また,塔身の中には側面に方形の輪郭を刻み,その中に月輪を作らず梵字だけを刻んでいる事例もT市にあります。

 そして,塔身の上に,軒下に平均2段の段級を持つ笠部が置かれています。笠部には,4隅に1つから3つまでの弧を持つ隅飾突起が作られ,上部に平均5段の段級と露盤にかわる1段の段級が彫り出されています。突起の部分は普通,無地ですが,中には梵字や蓮華文様などを陽刻しているものも見られます。通常,突起は直立していますが,外側の部分が外に開いているものもあります。しかし,一般に直立もしくは直立に近いものほど古いとされています。この隅飾突起の外側の傾斜角度も時代判定の基準の1つになり得ますので,よく注目して見て下さい。

 さらに,笠部の上に相輪を乗せて全体が出来上がります。相輪は,下から上へ伏鉢,単弁または複弁の請花,九輪,請花,宝珠と名前がつけられています。なお,宝珠の形は時代によってかなり違っていますため,時代判定の決め手の1つともなり得ますので,これまた注目しておきたいですね。

 以上の記述に際して,主に川勝政太郎編『新装版 日本石造美術辞典』や日野一郎「塔婆・宝篋印塔」(『新版考古学講座』七巻・有史文化下巻)を参考にしました。