『脊振山信仰の源流―西日本地域を中心にして―』の紹介

吉田扶希子『脊振山信仰の源流―西日本地域を中心にして―』(中国書店、2014年3月刊)の紹介と書評
 
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まず、これまでまとまった研究がおこなわれてこなかった九州発の脊振山信仰史の研究に息長く、しかも粘り強く取り組んでこられた著者のパイオニア的精神に深く敬意を表し、1年おくれではあるがその内容を紹介したい。

著者は、第一章「脊振山地主峰脊振山の信仰」で、上宮脊振神社の弁才天宗像三女神)、中宮霊仙寺の乙護法童子護法善神)、下宮修学院の徳善大王を祭神とする脊振山信仰について論述している。中宮はその中でももっとも古くから信仰の対象になっていた「脊振山」信仰の発祥地で、現在、脊振山修験は、役行者を開祖とする天台系本山派修験に所属。南天竺国の徳善大王と、龍馬に乗って飛来したというその王子・乙護法童子に関わる肇国神話があり、水を司る龍神信仰など、熊野那智参詣曼陀羅との関係の深さがうかがわれ、熊野に興味ある者にとっては教えられることが多かった。

さらに、第二章「脊振山地神功皇后伝承」で、脊振山地西側・北側に展開する鎮懐石説話と津守氏との関係、脊振山地から大分県姫島・山口県下関・大阪府京都府宇治・滋賀県息長をへて福井県敦賀に至る天之日矛・比売語會伝説、そしてそれと微妙に重なり合う記紀神功皇后伝承などについて詳細に考察している。

また、第三章「雷山と清賀上人」で、脊振山地のほぼ中央にある、「容易ならざる古代信仰の霊山」とでもいうべき雷山、八世紀頃に雷山・油山を中心とした地域で大いに活躍し、後世に大きな足跡を残したと伝承される、民間の法華持経者・勧進唱導僧とでもいうべき清賀上人について詳細に論述している。

さらに、第四章「『宇佐託宣集』の異国合戦」で、神功皇后八幡信仰のテキストである『宇佐託宣集』と『八幡愚童訓』のうち、『宇佐託宣集』が宇佐八幡社で編纂され、脊振山地北側に発した信仰と深く結び付いていることを指摘。これに対し石清水八幡社で編纂された『八幡愚童訓』が脊振山地南側や築後の高良大社と深く結び付いていること、芸能の分野で日本文化に大きな影響を与えたことなどを指摘している。

第五章「筑紫国と「朝日長者」」で、脊振山地東側にある筑紫神社(祭神は瓊瓊杵尊と、紀国造家が奉祭した紀伊の大神・五十猛神の二神)を中心とした地域の政治・軍事・信仰上の重要性について指摘。第六章「紀氏の活躍」で、脊振山地の伝承・信仰に様々に関わりを持ってきた人々として紀氏に注目。さらに、第七章「『八幡愚童訓』の干珠・満珠」で、著者は、脊振山地南側と京都の石清水八幡宮とのつながりに注目している。

さらに、第八章「脊振山信仰のひろがり」で、著者は、脊振山信仰の伝播者の一人である性空上人の足跡をたどる。性空は、一〇世紀前半、比叡山で修行後、九州の霧島で修行。大悟。一〇世紀後半、脊振山で修行後、播磨に書写山円教寺を創建した人物である。

以上、文献史料の少なさにもかかわらず、民俗学的な研究を軸に、集めた関係寺社に関わる縁起・説話・伝説(伝承)・芸能、さらには考古学資料などに細かい検討を加えたこの著作は、話題が豊富で、しかも話があちこちに飛んでいるため、私のように研究フィールドの違う者にはかなりわかり辛いところもあるが、民俗学など、できうる限り多彩な方法論を駆使して、研究対象に対して多面的に迫った独創的な脊振山信仰研究と評価できる。